商業捕鯨モラトリアム
英語:Moratorium of Commercial Whaling
捕鯨国が商業捕鯨を一時的に停止すること。
商業捕鯨モラトリアムは、商業捕鯨の評価のための猶予期間という位置づけであり、その間にクジラ資源の包括的評価や捕獲頭数の設定などについて検討を進めるとされている。
商業捕鯨モラトリアムは、1972年に国連人間環境会議において提案された。しかし当時は国際捕鯨委員会(IWC)によって否決されている。10年後の1982年、IWCが商業捕鯨モラトリアムを採択したことによって、商業捕鯨は一時禁止されることとなった。
その後「改訂管理制度」と呼ばれる、商業捕鯨に関する管理監視制度が検討されているが、加盟国間の合意が得られておらず、2011年2月現在に至るまで商業捕鯨の再開は先送りにされている。
商業捕鯨モラトリアム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 18:05 UTC 版)
1950年代、実質他国の撤退する中で日本が一人勝ちしていた「捕鯨オリンピック」の時期に、効率の良い鯨から資源が減少し、当時IWCの科学委員会ではシロナガスクジラの全面禁漁を提案していたが、日本、ソ連、ノルウェー、オランダは受け入れなかった件などが紛争の火種になったといわれ。1960年代末、鯨類全面禁漁の意見が出始めた。米国は1972年の国連人間環境会議で商業捕鯨の10年間一時停止を提案し採択された。IWCでも同年にモラトリアム提案を提出したが、科学的正当性に欠けるとの理由で否決された。アメリカが反捕鯨を持ち出したのは、当時話題になっていた核廃棄物の海洋投棄問題から目をそらせるためであったと国際ピーアール(現ウェーバーシャンドウィックワールドワイド)「捕鯨問題に関する国内世論の喚起」に記されている。この他、人間環境会議に出席した日本代表の米沢邦男は、主催国スウェーデンのオロフ・パルメ首相が、ベトナムでの米軍の枯れ葉作戦を非難し環境会議で取り上げることを予告していた。アメリカはそれまでIWCに捕鯨モラトリアムを提案しておらず、それを唐突に焦点にしたのは、ベトナム戦争の枯葉剤作戦隠しの意図があったのではないかといわれている。しかしながら、同会議に日本から出席した綿貫礼子によれば、当時は国連主催の会議でベトナム戦争には言及しない事が暗黙の了解となっており、同会議場ではアメリカの「地球の友」と英国の「エコロジスト」を出しているグループが共同で出したミニ新聞には国連会議の動きが記されており、国連会議で鯨に対する日本政府の姿勢を攻撃するニュースも記されていた。また、人間環境会議にいたる状況を調べた真田康弘によると、人間環境会議から八ヶ月前にIWCで採択していた南半球の一部海域でのマッコウクジラの捕獲制限措置に対して、日本が充分な科学的根拠がないと異議申立てを行い、捕獲制限に従わない意向を表明した為モラトリアムを不要としてきた米国の立場は著しく困難になり、米外務省担当官が「もしアメリカがモラトリアムを本当に追求することとなれば、適切な国際フォーラムに提起することになるだろう」と当時の在米日本大使館佐野宏哉一等書記官に対して示唆した。その後、米国政府ではCEQ(環境問題諮問委員会)から持ち上がった捕鯨政策転換に同調した、ロジャーズ・モートン内務長官が1971年11月に十年モラトリアムの支持を公言した、と人間環境会議に至る過程の米国内部の変遷を明かし、人間環境会議で米国が唐突に反捕鯨の提案を行ったとする見方を否定している。その結果、人間環境会議でスウェーデンのオロフ・パルメ首相は言及しないのが暗黙の了解とされていた中で、枯葉剤作戦を人道的見地および生態系破壊の面から非難するに至ったと考えられている。 1982年、反捕鯨国多数が加入したことでIWCで「商業捕鯨モラトリアム」が採択される。これは、NMP方式によるミンククジラの捕獲枠算定が、蓄積データ不足で行えないことを名目とするものである。この「商業捕鯨モラトリアム」は、1982年7月23日のIWC総会において採択された国際捕鯨取締条約附表に属するものであるが、1972年と1973年のIWC科学委員会において「科学的正当性が無い」として否決されていたもので、1982年においてはIWC科学委員会の審理を経ていないことから、国際捕鯨取締条約の第5条2項にある付表修正に要する条件である「科学的認定に基くもの」に反しており同条約違反で法的には無効であるとの立場を日本は取っている。
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