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和田惟政(わだ これまさ) 1532~1571

伊賀
◇父:和田惟助 弟:和田定利、定教 子:和田伝右衛門惟長
 和田氏は南近江甲賀二十一家南山六家数えられた名族将軍足利義輝仕え、義輝が摂津三好氏に襲われ討死後は、京を逃れたその弟義昭仕え庇護し、上洛の為奔走する。その結果義昭織田信長下上洛し、惟政信長からも重用されたが、やがて義昭信長不和になると、義昭を守って戦う。信長部将荒木村重の軍に攻撃され、勇戦するが捕らえられ殺された。


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和田惟政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/21 01:09 UTC 版)

足利義昭を救出する惟政(歌川豊宣画)

和田 惟政(わだ これまさ)は戦国時代の武将。室町幕府末期の幕臣である。父は和田宗立(惟助)。


  1. ^ 寛政重修諸家譜、諸家系図などによる没年齢42歳からの逆算
  2. ^ ただし、この姉川の戦いに参加したとする記録は宣教師の記録にあるのみで、合戦の同日に摂津国内で惟政が出した寺社への禁制の文書(今西文書)が存在する事や、他の公方衆も参戦していない事などから、実際に参加したかどうかは疑わしい。ただ、永禄12年(1569年)10月の浦上攻め後から、元亀元年(1570年)3月まで信長関係の資料に一切登場しなくなるのは事実であり、信長と義昭の対立の中で一時存在を疎まれたのは事実のようである。
  3. ^ フロイス日本史より


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