和楽園水族館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 08:30 UTC 版)
「神戸市立須磨海浜水族園」の記事における「和楽園水族館」の解説
1895年(明治28年)、京都で第4回内国勧業博覧会が開かれた際、これに協力した神戸市が、博覧会附属の施設として、和田岬の遊園地「和楽園」に「和田岬水族放養場」を開設した。兵庫水族室と水族放養池とで構成される。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が観覧し、文章を書いている。博覧会終了後も、水族放養場は残された。 1897年(明治30年)、神戸市兵庫区の和田岬で開かれた第2回大日本水産博覧会会場となる遊園地「和楽園」内に、神戸市は「和田岬水族放養場」を充実させ、会期中に限って水族館が設置された。「水族館の父」と呼ばれる飯島魁東京大学教授によって設計され、建設の際には、神戸の進んだ造船技術が用いられ、海水の水槽にポンプやバルブ、配管などを備えた本格的な循環ろ過設備を備えていた。須磨海浜水族園の鮫島叡園長(当時)によると、「水族館」という名称はこの時から日本で初めて使われたという。また、水族館は外観がインド風の斬新なデザインであったとしている。 この「和楽園水族館」が日本初の本格的な水族館、日本初の本格的な濾過装置を備えた水族館とされ、神戸は日本の水族館発祥の地ともされている。 博覧会終了後の1902年(明治35年)4月、水族館は湊川神社の境内に移転され、「楠公さんの水族館」と呼ばれる。1910年(明治43年)2月、閉館した。
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