吉田 松陰とは? わかりやすく解説

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よしだ‐しょういん【吉田松陰】

読み方:よしだしょういん

1830〜1859]幕末思想家尊王論者長州藩士。名は矩方(のりかた)。通称寅次郎欧米遊学志しペリーの船で密航企てた失敗して入獄出獄後松下村塾開き高杉晋作伊藤博文らの多く維新功績者を育成安政の大獄刑死


吉田松陰 (よしだしょういん)


よしだしょういん 【吉田松陰】

幕末尊王論者思想家長州藩士。名は矩方。兵学学び長崎江戸遊学佐久間象山師事したペリー再来の時、密航企てて下獄。のち自邸内に松下村塾開き高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文維新指導者育成安政の大獄連座刑死した。主著『講孟余話』は『孟子』の評釈書で、冒頭に「聖賢に阿らぬこと要なり」とあり、孟子借りて自らの思想を語る。(一八三〇五九)

吉田松陰

作者海音寺潮五郎

収載図書幕末動乱男たち改版
出版社新潮社
刊行年月2008.4
シリーズ名新潮文庫


吉田松陰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/21 04:42 UTC 版)

吉田 松陰[注 1](よしだ しょういん、旧字体吉田 松󠄁陰文政13年8月4日1830年9月20日〉- 安政6年10月27日1859年11月21日〉)は、江戸時代後期の日本武士長州藩士)、思想家教育者山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者理論者。「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。


注釈

  1. ^ 「松蔭」の表記割れもある。
  2. ^ 11代将軍・徳川家斉を太政大臣に任じた詔書で、家斉が京都へ参内せず江戸城で詔を受けた無礼を悲憤慷慨した文。
  3. ^ 賀茂神社の神官・玉田永教(たまだ ながのり)が論じた国体論。
  4. ^ 羽前(長井・寒河江)は毛利氏の遠祖・大江広元が地頭を務めた地。また上杉家中には佐橋毛利(安芸吉田を分与された長州藩の本家筋)があり、京都留守居役・毛利安積は明治に置賜県大参事(現在の副知事)になる。
  5. ^ 時代は下るが、1878年(明治11年)に奥羽地方を視察旅行したイザベラ・バードも、置賜地方を「東洋の理想郷(アルカディア)」と賞賛している。
  6. ^ (3月28日)。この密航事件に連座して佐久間象山も投獄されている(4月6日)。
  7. ^ 高杉と久坂を村塾の双璧、これに吉田、入江を加えて松門四天王などと称される。
  8. ^ その一人だった伊藤博文は初代内閣総理大臣歴任の後、1905年に初代韓国統監となって李氏朝鮮(この時点では大韓帝国)の保護国化を行い、1910年の日韓併合に道筋を付けた後の1909年に満州北部のハルビン市で暗殺された。
  9. ^ 松陰自身による改題。
  10. ^ 宰相・王猛の「異民族(氐と漢民族以外)を信用するな」という諫言を守らず、羌と鮮卑により五胡十六国最大だった華北政権を失う。
  11. ^ 萩の松陰神社に副簡のほうが伝わり現存している。
  12. ^ のちに日本はウラジオストク上陸で、占領地に沿海州共和国(1922年10月まで)を建てる。ソビエト政権は対抗して極東共和国が建国。
  13. ^ 実際には刑執行前に書簡に記され、松陰の手になる実物が現存する。
  14. ^ 当該歌が有名だが、全部で五首が「留魂録」には記される。
  15. ^ 下田市柿崎にある「吉田松陰先生像」土台部分に同歌が刻まれている(静岡県文化政策課)。
  16. ^ 「松陰の写真と称するものの鑑定を乞ふ。曰く、全然異人なり」[22]
  17. ^ 司馬は吉田松陰を子供のころから嫌いだったと述べており、偏見による矮小化が随所に見られる。

出典

  1. ^ 『官報』第1683号「叙任及辞令」1889年2月12日。
  2. ^ 古川薫全訳注『吉田松陰 留魂録』、徳間書店、p161-162
  3. ^ 海原徹 2003, pp. 25–26.
  4. ^ a b c d 栗田尚弥葉山佐内の思想に関する一考察―「思想家」吉田松陰誕生前史」法学新報第121巻 第9・10号,2015,中央大学法学部,p185-232.
  5. ^ 「兵法者の生活」第六章.幕末兵法武道家の生涯 二.山鹿素水の業績(P217-220)
  6. ^ 吉田松陰『東北遊日記』(嘉永五年三月二十五日)
  7. ^ 川口雅昭『吉田松陰』[要ページ番号]
  8. ^ 村上一郎『草莽論』ちくま学芸文庫、2018年、P.209頁。 
  9. ^ 吉田松陰全集1 岩波書店刊
  10. ^ 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第13号379ページ
  11. ^ 北海道大学大学院文学研究科 研究論集 第13号380ページ
  12. ^ 吉田松陰水戸留学の地
  13. ^ 副島隆彦.日本の歴史を貫く柱(PHP文庫)
  14. ^ 『吉田松陰全集 第12巻 渡邊嵩蔵』
  15. ^ 『講孟余話』公孫丑下篇・第十章ほか
  16. ^ 「留魂録」冒頭の歌。(十月念餘日)
  17. ^ 「留魂録」末尾の歌。
  18. ^ 新渡戸稲造「武士道」第十六章
  19. ^ 齋藤孝「日本人の心はなぜ強かったのか」
  20. ^ 「萩松陰神社神靈」一覧
  21. ^ 国立国会図書館 吉田松陰 | 近代日本人の肖像
  22. ^ 広瀬豊「渡辺嵩蔵談話第二」1931年4月、大和書房版『吉田松陰全集』10巻、365頁
  23. ^ ご利用について|近代日本人の肖像
  24. ^ 『唱義聞見録』
  25. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『吉田松陰全集』
  26. ^ 『逸話文庫 : 通俗教育. 志士の巻』P96
  27. ^ 『松陰とその門下』
  28. ^ 杉氏系譜
  29. ^ 「ゴールデン☆ベスト」をリリースした“つボイノリオ”にロングインタビュー!【6】、ウォーカープラス、2012年7月8日。



吉田松陰(よしだ しょういん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/06 16:30 UTC 版)

シノビノ」の記事における「吉田松陰(よしだ しょういん)」の解説

長州藩士黒船への襲撃計画黒船襲撃理由ペリーに自らの渡米承認させ、アメリカで知識技術を身に着け日本強化することと述べており、目的手段かけ離れた狂人的な言動を行う人物甚三郎松陰らが黒船襲撃し日米戦争になれば日本負けることを理解していたため、対峙することとなる。

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吉田松陰(よしだ しょういん)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 18:13 UTC 版)

SIDOOH/士道」の記事における「吉田松陰(よしだ しょういん)」の解説

長州藩士松下村塾塾長瑠儀と共に佐久間象山の下で学んだ弟子には高杉晋作桂小五郎久坂玄瑞などがいる。一君万民論提唱した。1858(安政5)年、井伊直弼による安政の大獄によって処刑される本編には名前のみ登場

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吉田松陰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 13:55 UTC 版)

江戸もの」の記事における「吉田松陰」の解説

幕府打倒掲げる「倒幕団リーダー幕末維新英雄特撮ヒーローパロディ改造していく。非常に尊敬されたくて敬意が無い呼び捨てを嫌う上ナルシストらしく“自分のために鎖国解いて外国に行かせない幕府無能なので滅びろ”という理由倒幕団結成した

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吉田松陰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 08:17 UTC 版)

HAPPY MAN」の記事における「吉田松陰」の解説

本作では女性になっている小五郎の師であり初恋の人。

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吉田松陰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 03:31 UTC 版)

お前はまだグンマを知らない」の記事における「吉田松陰」の解説

幕末の志士。神月と二矢たちが赤城山に登った際にタイムリープ出会う童貞

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吉田松陰

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国体」の記事における「吉田松陰」の解説

吉田松陰は幕末の志士として有名である。陽明学依拠し、その思想系統山鹿素行に受け、また山崎闇斎流の影響受けた。吉田松陰の勤王運動はその国体論由来するといわれる。その国体に関する精神幕末志士の間で基盤となって明治維新つながった。 吉田松陰は安政3年8月22日山鹿素行『武教全書』の講義開始し、その主旨述べにあたって皇国尊厳士道との関係を論じ、また国々にはそれぞれ特殊の道があり、他国の道を必ずしも日本用いることができないわけを次のように論じた国体というは、神州には神州の体あり、異国異国の体あり。異国の書を読めば、とにかく異国の事のみ美と思い我が国をば却って賤しみて、異国を羨むように成り行くこと、学者通患にて、これ神州の体は異国の体と異なるわけを知らぬゆえなり。ゆえに晦小学にて前にいう士道は大抵知れたれど、これは唐人作りたる書ゆえ、国体弁ぜずして遙かに読むときは、同じく異国羨み我が国体を失うように成り行くことを免れざること、先師深く慮りたまう。これ武教小学作る所以なり。これをもって国体考うべし。さて、その士道国体はその切要の事なれば、幼年の時より心掛けさすべきこと、これ学の本意にて志士仁人に成るようにとの教誡なり。(武教小学開講主意) 吉田松陰は『講孟余話』を著して日本固有の国体強調した長州藩老儒山県太崋がこれを批判し両者の間で論争になった。吉田松陰は安政の大獄により安政6年(1859)10月27日刑死するが、その年の春獄中で「坐獄日録」を記し皇統一系臣道との関係について次のように論じた皇統綿々千万世に伝わり変易なきこと偶然にあらずして、即ち皇道基本もまたここにあるなり。天照大神神器天孫瓊々杵尊伝えたまえるや、宝祚之隆、与天壌無窮の御誓あり。されば漢土天竺臣道はわれ知らず我が国においては宝祚もとより無窮なれば、臣道もまた無窮なること深く思い留むべし。

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