吉田勝彦とは? わかりやすく解説

吉田勝彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/24 09:32 UTC 版)

よしだ かつひこ
吉田勝彦
2010年ゴールデンジョッキーカップ
優勝騎手インタビュー(左は岩田康誠)
プロフィール
出身地 兵庫県
国籍 日本
生年月日 (1937-02-14) 1937年2月14日(86歳)
所属事務所 ダート・プロダクション
ジャンル 競馬実況
出演番組・活動
出演中 園田・姫路競馬ダイジェスト

吉田勝彦(よしだ かつひこ、1937年2月14日[1] - )は日本競馬実況アナウンサー園田競馬場姫路競馬場で競馬実況を担当していた。ダート・プロダクション相談役[2]、元弘報館所属[1]

来歴

1937年(昭和12年)2月14日軍需工場で働く父と専業主婦の母との間に次男として誕生。兵庫県出身[1]。もともとはラジオ声優を志し、高校卒業後、関西芸術アカデミー放送研究科に入学。同アカデミー在学中の1955年春木競馬場長居競馬場アルバイトとして競馬の実況を行い、翌1956年兵庫県競馬組合の嘱託として場内実況を担当して以来、半世紀に渡って競馬実況を担当していた。

そのほか、サンテレビの『園田・姫路競馬ダイジェスト』、ラジオ関西の『競馬レポート』、地方競馬ナインおよびYouTubeで放送、配信されている『そのだけいばレース展望』にもMCとして出演していた。

2014年5月27日には、『レーストラックアナウンサーとしてのキャリアーの長さ世界最長』(1955年10月1日から2014年5月27日までの58年239日)としてギネス世界記録に認定された[3]

2019年12月3日2020年1月9日の園田競馬場での実況をもって64年間にわたる競馬実況から引退することを発表した。展望番組には同年3月末まで出演[4][5]

エピソード

馬券を一切買わない主義

自身が実況する園田・姫路の馬券は一切買わない主義である。職務の立場上、馬券を買うことで私情が入りレースの実況に影響が出ることを避けるためである。

杉本清との対談

かつて、兵庫県競馬発行の広報誌『Dash』誌上における同学年の杉本との対談で、「もし、兵庫県の騎手がワールドスーパージョッキーズシリーズで総合優勝することがあれば、そのときには私に優勝インタビューをさせてもらえないだろうか」と語っていた。2005年、ついに兵庫(当時。現在はJRAに移籍)の岩田康誠が総合優勝を果たしたが、彼による優勝インタビューは実現しなかった。

ファンにサインをするファンサービス

レース後の表彰式のときなど、ファンの前に出てくる機会も多く、サインを求められると「私でいいんですか?」と言いつつも応じてくれ(あとのレースの時間が迫っているなど、時間に余裕がない場合をのぞく)、「そのだひめじ 実況ひとすじ 吉田勝彦 20xx年x月x日」と書いてくれる。

印象に残る騎手、馬、レース

実況人生の中で出会った印象に残る騎手として岩崎良蔵、石川昇[1]田中道夫[1]小牧太、岩田康誠、木村健を挙げている。馬についてはタガミホマレ[1][6]、レースについてはタガミホマレの現役最後のレースとなった1968年兵庫大賞典を挙げている[1][7]

その他

  • 2005年5月29日にはサンテレビのドキュメント『スペース2005』において主人公として取り上げられた。
  • 自身について、標準語を話せずニュースも読めないという理由からアナウンサーではなく競馬の表現者でありたいとしている。
  • ラジオ関西『遊児・笑児のおはようさん』内では、長らく「レースダイジェスト」を担当。レース情報の“マクラ”で披露される「吉田劇場」は主婦の涙を誘い、ついには吉田あてにファンレターが届く事態となった。
  • 2014年5月27日にはラジオ関西で同一競馬場での実況年数がギネス世界記録に認定された[3]のを記念し、特別番組「我流の競馬実況アナウンサー吉田勝彦」が放送された。
  • 山口瞳は自身の著書「草競馬流浪記」の中で吉田について取り上げており、話し方を「映画説明みたいな喋り方」「浜村淳の映画説明の調子」と評している[8]

実況

実況の特徴

レース道中の流れを的確に捉えた語り、直線に入るにつれボルテージが上がり、最後は裏返った声でゴールを伝える実況は「吉田節」、「勝彦節」として知られる。遠方から実況を聴きに来るファンもいた[1]

兵庫県競馬組合に就職した当初は、利国寅雄厩舎厩務員としても働いた経験がある。そのことで競走馬や騎手の性格や思考を学んだことが実況中にレース展開を予測することに役立っていると述べている。

42歳のときに右目を失明し隻眼となってしまい、それ以降左目だけで実況する練習を行う中で馬や騎手の動作からレース展開を読む技術を習得した。

本人いわく、実況の手法は我流であり、師匠はいないと言う。

弟子格・実況体制

弟子格として竹之上次男(同じダートプロ所属)がおり、また2010年秋には荒尾競馬場で実況していた三宅きみひとが実況陣に加入し、吉田勝彦・竹之上次男との3人体勢での実況であるため、実況するレースは3分の1程度である。ただし、JRAとの指定交流競走(条件交流・ダートグレードとも)での実況は第3回兵庫ゴールドトロフィーを最後に行っておらず、兵庫の重賞競走も歴史の深い競走を中心としている。

なお、2012年9月から始まったナイター競走「そのだ金曜ナイター」についても当初は竹之上・三宅の二人に任せて、吉田はしばらく実況を担当しなかった。現在は日中開催時とほぼ同じ頻度で実況を担当している。

南関東や金沢競馬場で場内実況を担当した及川暁アナウンサーはデビュー当初吉田のもとで修業を積んでいたが、吉田は及川に対して「常に客人をもてなす心で実況しろ」とだけアドバイスを送ったという。及川の実況も「サトル節」と形容されるが、そのベースは吉田節である。

竹之上はコロナ2019パンデミックに伴うマスクの着用を巡って兵庫県競馬組合と対立し、2022年(令和4年)1月31日限りで退社し同時に競馬実況およびフリーアナウンサー業からも引退。これによりダート・プロダクションの後継者は三宅に決まり、2023年(令和5年)4月1日付で三宅が代表取締役に就任。吉田は相談役に退いた。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 地方競馬全国協会ハロン1991年7月号、pp.42-43
  2. ^ 竹之上次男 (2010年11月27日). “第3の男!?〜トピックス〜”. 日替わりライターブログ. 楽天競馬. 2010年12月2日閲覧。
  3. ^ a b 吉田勝彦アナウンサーがギネス世界記録® に認定 兵庫県競馬組合・2014年5月29日・2019年12月7日閲覧
  4. ^ 吉田勝彦アナウンサーのレース実況引退について 兵庫県競馬組合・2019年12月3日・2019年12月4日閲覧
  5. ^ 園田競馬の吉田勝彦アナが来年1月9日でレース実況を引退 ギネス記録もつ82歳 スポーツ報知・2019年12月3日・2019年12月4日閲覧
  6. ^ 矢野吉彦 競馬最前線「特別表彰馬タガミホマレはアラブの星」 アーカイブ 2010年4月12日 - ウェイバックマシン(netkeiba.com、2010年2月6日
  7. ^ アラブ わたしの名勝負 第5回「ファンの人情、競馬の無情 吉田勝彦」”. 2012年7月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月19日閲覧。
  8. ^ 山口瞳「草競馬流浪記 (新潮文庫)」新潮社1987年4月1日ISBN 4101111170




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