吉武高木遺跡とは? わかりやすく解説

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吉武高木遺跡

名称: 吉武高木遺跡
ふりがな よしたけたかぎいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 福岡県
市区町村 福岡市西区大字吉武
管理団体
指定年月日 1993.10.04(平成5.10.04)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日 平成12.09.21
解説文: 福岡市西部位置する早良平野は、南方脊振山地とそれから派生した丘陵によって三方限られ、北の玄界灘向かって扇形に開く独立した自然空間形成している。吉武高木遺跡は、早良平野中央部貫流する室見川中流左岸広がる吉武遺跡群一部構成する弥生時代墳墓建物跡からなる遺跡である。
 昭和五十五年、吉武遺跡群所在する飯盛吉武地域において、圃場整備事業計画されたため、昭和五十六年から六十年にかけて、福岡市教育委員会が五次にわたる事前調査実施した調査結果遺跡群縄文時代から中世にかけて遺跡からなる大規模なのであることが判明した遺跡群最盛期弥生時代で、前期末から中期後半にかけて甕棺主体とした墳墓一二〇〇基、丹塗磨研土器投入した土壙五〇基、竪穴住居掘立柱建物などが検出されている。
 吉武高木遺跡はこの遺跡群南端部に位置し高木大石の二地区から青銅器や玉類を副葬するなど、卓越した内容墳墓群が発見された。特に高木地区墳墓群は、共同墓地から離れて独立した墓域形成しており、調査され三五平方メートル範囲に、木棺墓四基、甕棺墓一六基、小型甕棺墓一八基が密集するこのうち小児とみられる小型甕棺は、墓域の東半部に集中し、西半部に成人とみられる大形甕棺墓木棺墓が、墓壙の主軸北東方向揃えて整然と配置されていた。これらの成人墓は、大型の墓壙を有しており、墓壙上に花崗岩安山岩配した墓標をもつなど、同時期の他の墳墓とは規模構造上で差異認められる副葬品このうち木棺墓四基、甕棺墓七基で確認された。
 甕棺墓はいずれ弥生時代前期末から中期初頭位置付けられる金海甕棺で、成人特別に大型作られ蕨手状の刻目突帯文を施したものや、疾駆する二頭の鹿を描いたものがある。副葬品をもつ甕棺墓構成銅剣一口基本に玉類が加わるもの四基、銅釧二点と玉類からなるもの一基、玉類のみのもの二基となっている。
 四基の木棺墓甕棺墓同時期の所産で、大型の墓壙をもち、内部組合木棺割竹形木棺納めた痕跡が残る。特に墓域中心近く位置する二号木棺墓は、長さ四・八メートル、幅三・五メートル長大な墓壙をもち、中に納めた割竹形木棺長さ二・五メートル、幅一メートル規模をもつ。これには、銅剣一口硬玉勾玉一点碧玉製管九五からなる頸飾り碧玉製管四〇からなる飾り小壺などが副葬されていた。また墓域南端部にある三号木棺墓は、二号木棺墓比較すると墓壙はやや小規模であるが、硬玉勾玉一点碧玉製管九五からなる頸飾りとともに多鈕細文鏡一面銅剣二口銅戈銅矛一口副葬され、他を圧倒する内容有していた。高木地区木棺墓は、他の二基の木棺墓にも銅剣副葬されるなど、すべてに副葬品がみられ、甕棺墓対す優位性認められる
 高木地区木棺墓甕棺墓から出土した副葬品は、細形銅剣九口、細形銅戈一口細形銅矛一口多鈕細文鏡一面銅釧二点、碧玉製管四六八点、硬玉勾玉四点ガラス小玉一点、有磨製石鏃一点小壺などである。多鈕細文鏡実用的な細形青銅武器は、朝鮮半島からの船載品と考えられるのである。これらの豊富な副葬品をもつ墓は、大型の石を地上標識とする点や、共同墓地から離れて独立した墓域をもつ点で、奴国王墓推定される福岡県春日市須玖岡本遺跡や、伊都国王墓推定される前原市三雲南小路遺跡墳墓へと発展する要素認められ、この墳墓被葬者達が早良平野出現した有力首長であったことを推測させる。
 青銅器多量に副葬した墓群の東方四〇メートル地点からは、大型掘立柱建物高床倉庫発見されている。大型建物は、桁行五間(総長一二・五メートル)、梁行四間総長九・五メートル)の身舎西廂が付く南北建物で、北・東二面には軒支柱巡り既発見の同時期の建物としては最大規模を誇る。この大型建物先の墓群の被葬者居館一部構成する建物考えられる高床倉庫大型建物南方五〇メートルに七棟を確認している。桁行二間梁行一間のもの五棟、桁行梁行ともに一間のもの二棟からなる。なお一般集落構成する竪穴住居はこの地区存在せず墓域同様、首長層の居住域一般集落構成員居住域から独立した可能性が高い。
 以上のように吉武高木遺跡は、北部九州における弥生時代階層分化過程王権生長過程解明する上で、また『漢書』地理志」が伝える百余国に分かれた倭人社会実態追求する上できわめて高い学術的価値有している。
 よって国の史跡指定し、その保存図ろうとするものである
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吉武高木遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/11 06:27 UTC 版)

吉武高木遺跡(よしたけたかぎいせき)は、福岡県福岡市西区大字吉武にある弥生時代遺跡。国の史跡に指定され、出土品は国の重要文化財に指定されている。


  1. ^ 常松幹雄 2006, p. 13.
  2. ^ 福岡市教育委員会 2009, p. 1,3,6.
  3. ^ 福岡市教育委員会 2009, p. 7.
  4. ^ 福岡市教育委員会 2009, p. 4,7.
  5. ^ 福岡市教育委員会 2009, p. 8.
  6. ^ 常松幹雄 2006, p. 9,15.
  7. ^ a b 常松幹雄 2006, p. 18.
  8. ^ 常松幹雄 2006, p. 38,42,46,47.
  9. ^ 常松幹雄 2006, p. 53,63.
  10. ^ 常松幹雄 2006, p. 64,65,66.
  11. ^ 常松幹雄 2006, p. 66-69.
  12. ^ 常松幹雄 2006, p. 28-29.
  13. ^ 常松幹雄 2006, p. 24-27.
  14. ^ 常松幹雄 2006, p. 50,57.
  15. ^ 常松幹雄 2006, p. 49.
  16. ^ 常松幹雄 2006, p. 9,80,82.
  17. ^ 筑前吉武遺跡出土品 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  18. ^ 吉武高木遺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁




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