古代都市アレッポとは? わかりやすく解説

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古代都市アレッポ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 16:10 UTC 版)

古代都市アレッポ(こだいとしアレッポ、アラビア語: مدينة حلب القديمة‎, Madīnat Ḥalab al-Qadīma)は、シリア北部の都市アレッポに残る歴史的構造物が登録されたユネスコ世界遺産(文化遺産)である[1]


注釈

  1. ^ 12世紀の旅行家イブン・ジュバイルは、アレッポを訪れたのちにハラブの語源について逸話を書いている。それによると、アブラハムが羊の群れを連れてこの地にしばしば来ており、丘の上で羊の乳を絞って皆に分け与えていた。そのためアラビア語で乳を意味するハラブが地名になったとされる[6]
  2. ^ セレウコス1世は領内の都市の新設や再建を進め、ベロエアの他にアンティオキアアパメアセレウキア、ラオディケア、エピファニアドゥラ・エウロポスなどの都市が整備された[10]
  3. ^ マムルーク朝時代のアレッポの資料として、イブン・ハティーブ・アンナスィリーヤの『アレッポ史における選り抜きの真珠』やスィブト・イブン・アルアジャミー英語版の『アレッポ史における黄金の蔵』がある[17]
  4. ^ 20世紀までのアレッポの歴史は、アレッポの歴史家タッバーフが『アレッポ史における貴顕達の情報』(1988年)にまとめている[25]
  5. ^ シリア政府に対する抗議は、2005年のレバノンでの反シリア運動による4月のシリア軍撤退が端緒とされる。これがのちに杉の革命とも呼ばれた。チュニジアで起きたアラブの春の影響で、政府批判を壁に落書きをしたダルアーの子供が逮捕されて拷問を受け、国内外の批判を呼んで反政府活動が活発になっていった[30]
  6. ^ レヴァント会社とアレッポの取引は、17世紀後半から18世紀前半に最盛期となり、生糸と毛織物の交換が中心だった[41]
  7. ^ 1981年のシリアの卸売・小売・飲食店・ホテル事業所数は全国113,820のうちアレッポに25,752、ダマスカスに21,841だった。卸売業は全国4,593のうちアレッポに961、ダマスカスに830。小売業は全国100,615のうちアレッポに23,170、ダマスカスに18,606だった。人口ではダマスカスが1位、商店数においてはアレッポが1位だった[44]
  8. ^ シリアに対する経済制裁は、欧州連合(EU)による2011年5月が最初だった。国際連合安全保障理事会のシリア政府への制裁や大使館閉鎖など外交的な手段がとられ、軍事行動はなかった。2013年8月のダマスカスでシリア政府軍が化学兵器によるグータ化学攻撃を行なったのちも、欧米の軍事行動は対ISILに限定された[45]
  9. ^ 新市街にもスークがあるが伝統的なスークとは異なり、ショッピングモールなどの大規模小売店舗が建設されている[64]
  10. ^ 計画を行なった人物はルネ・ダンジェミッシェル・エコシャールアンドレ・ギュトン番匠谷尭二らだった[66]
  11. ^ イスラームではスンニー派、シーア派、イスマーイール派、アラウィー派、ドゥルーズ派。キリスト教ではシリア正教、シリア・カトリック、アッシリア正教(ネストリウス派)、カルデア典礼カトリック教会、ギリシア正教、東方典礼カトリック教会、マロン派、アルメニア正教、アルメニア・カトリック、アルメリア・プロテスタント英語版、そしてユダヤ教があった[70]
  12. ^ オスマン帝国による1915年のアルメニア人虐殺では、東部諸州からアレッポへの強制移住で平均50%近い死者が出た。マラティアを出発した18,000人がアレッポに着いた時には150人に減っていた[72]
  13. ^ ビザンツ帝国はアレッポをめぐってミルダース朝とアザーズの戦いを起こした。
  14. ^ 19世紀のイェニチェリは一般市民と異なる姿として、バーバリーの帽子に白モスリンのターバンを巻き、腰にハンジャルと呼ばれる長ナイフを身につけていた[74]
  15. ^ アシュラーフは一般市民と異なる姿として、赤い帽子に緑色のターバンを巻きつけていた[75]

出典

  1. ^ “古代都市アレッポ”. 世界遺産オンラインガイド. https://worldheritagesite.xyz/aleppo/ 2021年8月8日閲覧。 
  2. ^ 黒田 2016, p. 84.
  3. ^ 黒田 2016, pp. 41–42.
  4. ^ 黒田 2016, pp. 43–44.
  5. ^ 黒田 2016, p. 49.
  6. ^ a b 黒田 2016, p. 34.
  7. ^ 前田, 近藤, 蔀 2002, pp. 97–98.
  8. ^ 黒田 2016, pp. 33–34.
  9. ^ 前田, 近藤, 蔀 2002, pp. 101–102.
  10. ^ 前田, 近藤, 蔀 2002, pp. 111–112.
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  15. ^ 三浦 2002, pp. 292–295.
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  84. ^ 林 2016, pp. 3153-3159/4663.
  85. ^ 片瀬 2016, p. 25.
  86. ^ 片瀬 2016, p. 35.


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