叡福寺とは? わかりやすく解説

えいふく‐じ【叡福寺】

読み方:えいふくじ

大阪府南河内郡太子町にある、単立宗教法人太子宗の寺。もと高野山真言宗山号磯長(しなが)山。院号聖霊院。聖徳太子墓所に、追福のため聖武天皇勅願神亀元年(724)創建八尾市勝軍寺を「下の太子」と呼ぶのに対して、「上の太子」という。石川寺。磯長寺。御廟寺。


えいふくじ 【叡福寺】

大阪府南河内郡太子町にある単立寺院真言系)。磯長聖霊院。別称石川寺。聖徳太子陵墓があり、母・妃をも葬る(三骨一廟)。八尾市大聖勝軍寺下太子というのに対し太子と呼ぶ。六二二推古天皇三〇)年太子埋葬機に建立、七二四(神亀一)年聖武天皇建物整備

叡福寺

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

叡福寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/05 14:41 UTC 版)

叡福寺(えいふくじ)は、大阪府南河内郡太子町太子にある太子宗の本山寺院山号は磯長山(しながさん)。本尊如意輪観音新西国三十三箇所客番札所。聖徳太子の墓所とされる叡福寺北古墳(磯長墓〈しながのはか〉)があることで知られる。開基は聖徳太子または推古天皇とも、聖武天皇ともいわれる。聖徳太子建立三太子の一つで、野中寺羽曳野市)の「中の太子」、大聖勝軍寺八尾市)の「下の太子」に対して、「上の太子」と呼ばれている。また、大阪みどりの百選に選定されている[1]


注釈

  1. ^ 江戸時代に製作された当寺を描いた絵図に『建久四年古図』というものがあるが、これは椿井文書である。この絵図には当寺の東側に転法輪寺という寺院が描かれている。江戸時代にこの絵図がかなり複製されたことにより、転法輪寺という寺院があったとの話が広まってしまったのではないかとされる(竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』10p)。また、『叡福寺略縁起并古跡霊宝目録』には転法輪寺とは叡福寺の異号であると書かれている(竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』12p)。

出典

  1. ^ 大阪みどりの百選”. 大阪府. 2016年12月23日閲覧。
  2. ^ 聖徳太子墓”. 太子町. 2015年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月27日閲覧。
  3. ^ a b c 客番札所 磯長山 叡福寺”. 新西国霊場. 新西国霊場会 (2005年). 2015年9月27日閲覧。
  4. ^ a b c d e 叡福寺ホームページ 叡福寺由緒
  5. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』4p
  6. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』4p
  7. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』28p
  8. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』24p
  9. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』18p
  10. ^ 竹内街道歴史資料館『西方院の寺宝 -三尼公の威光-』3p
  11. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』20p
  12. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』18p
  13. ^ 竹内街道歴史資料館『聖徳太子廟の香花寺』30p
  14. ^ a b c d e 叡福寺【府指定史跡】”. 太子町. 2015年9月27日閲覧。
  15. ^ a b 日本の文化遺産 建造物編(下) (2008)、104頁
  16. ^ 叡福寺: 聖霊殿”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2015年9月27日閲覧。
  17. ^ 建物の実長は『国宝・重要文化財大全 11 建造物上』(毎日新聞社、1998)p.677所収の平面図による。
  18. ^ 叡福寺: 多宝塔”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2015年9月27日閲覧。
  19. ^ 大阪府内指定文化財一覧表 - 太子町[Excelファイル/27KB]”. 大阪府. 2015年9月27日閲覧。
  20. ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第117号
  21. ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
  22. ^ 高屋連枚人墓誌〈蓋共/〉”. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2015年9月27日閲覧。
  23. ^ a b c 府指定の文化財一覧(建造物)”. 大阪府 (2012年8月17日). 2015年9月27日閲覧。
  24. ^ 日本の文化遺産 建造物編(下) (2008)、114頁
  25. ^ 大阪府ホームページ(府指定の文化財一覧・史跡)
  26. ^ 菅野朋子 【特別リポート】消えた「重要文化財を追え!」壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた! (『週刊新潮平成17年10月13日号)



叡福寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)

太子信仰」の記事における「叡福寺」の解説

叡福寺は、太子墓所とされる叡福寺北古墳墓前寺で、「上之太子」とも呼ばれる創建については、太子らを合葬した際に推古天皇から土地寄進をうけて墓守僧坊建てたことが始まりとする説と、太子追善為に聖武天皇神亀元年(724年)に伽藍建立したとする説の2つが伝わるが、当時史料記録見られ詳細不明である。また寺伝では、嵯峨天皇以来歴代天皇行幸があったと伝えるが、伝承の域を出ない

※この「叡福寺」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「叡福寺」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。

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