友永丈市
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友永 丈市(ともなが じょういち、1911年(明治44年)1月9日 - 1942年(昭和17年)6月5日)は、日本の海軍軍人。海兵59期。ミッドウェー海戦に空母「飛龍」飛行隊長(艦上攻撃機操縦員)として参加し、ミッドウェー島空襲の総指揮官を務め、その後に米機動部隊への雷撃隊を指揮して戦死。最終階級は海軍中佐[1]。
注釈
- ^ 航行不能となった「ヨークタウン」は、ハワイまで曳航されている途中で、伊号第百六十八潜水艦(艦長:田辺弥八少佐)に撃沈された[12]。
出典
- ^ a b 「昭和18年12月3日(発令昭和17年6月5日付)海軍辞令公報(部内限)第1273号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094700
- ^ 「第1航空艦隊戦闘詳報(1)」p.27
- ^ #亀井戦記223頁、「第1航空艦隊戦闘詳報(2)」p.6
- ^ #淵田自叙伝198頁
- ^ #飛龍生涯349頁
- ^ 「第1航空艦隊戦闘詳報(2)」p.7、「第1航空艦隊戦闘詳報(1)」p.31、#ヨークタウン174頁、#澤地記録240頁
- ^ 森史朗 2012b, p. 265, 第十三章 友永雷撃隊の最期
- ^ “『ミッドウェー海戦70年に想う。その2』写真家・ノンフィクション作家「神立尚紀(こうだち・なおき)」のブログ ※禁無断転載” (日本語). 神立尚紀. (2012年6月5日). オリジナルの2018年4月20日時点におけるアーカイブ。 2018年4月20日閲覧。
- ^ a b c d e 森史朗 2012b, pp. 281–285, 第十三章 友永雷撃隊の最期ー友永機の突入-1
- ^ 森史朗 2012b, pp. 294–297, 第十三章 友永雷撃隊の最期-友永機の突入-3
- ^ 森史朗 2012b, pp. 298–302, 第十三章 友永雷撃隊の最期ー「魚雷命中!」-1
- ^ 森史朗 2012b, pp. 390–404, 第十五章 海戦の終幕-空母ヨークタウンの最期
- ^ 「MI海戦 戦時日誌戦闘詳報(3)」p.16「尾部方向舵の指揮官機マークを確認す」
- ^ a b 「MI海戦 戦時日誌戦闘詳報(3)」p.16
- ^ 亀井 2014b, pp. 85–99, 第二部「喪失」-第六章「飛龍死闘」-三
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