参々亭五猿とは? わかりやすく解説

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山本周五郎

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/17 14:27 UTC 版)

(やまもと しゅうごろう、1903年明治36年)6月22日 - 1967年昭和42年)2月14日)は、日本小説家[2]。本名:(しみず さとむ)。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説歴史小説を書いた[3]


注釈

  1. ^ 例えば、池内紀は「問われるたびに山本周五郎はそんなふうに答えた」と書いている[10]
  2. ^ 最初期からのペンネームである。また山本周五郎に次ぐ位置づけである。このペンネームによる随筆等もある[11]
  3. ^ 『キング』は、「天皇制ナショナリズム、それも、モダニズムと立身出世・修養主義を加味した新しいナショナリズムを思想的主柱とし(中略)批判力に乏しい民衆を意のままにファシズムに動員した先導者、ファシズムへの地ならしをした極めて保守的なジャーナリズム」との評価もある[13]
  4. ^ 「直木三十五賞『辞退のこと』」が『文藝春秋』(昭和18年9月号)に掲載された。その前文は、「こんど直木賞に擬せられたそうで甚だ光栄でありますが、自分としてはどうも頂戴する気持ちになれませんので勝手ながら辞退させて貰いました。この賞の目的にはなにも知りませんけれども、もっと新しい人、新しい作品に当てられるのがよいのではないか、そういう気がします。新しいとだけでは漠然としすぎますが、とにかくいまの清新なものがほしいという感じは誰にもあると思う。局外者がこんなことを云うのはおせっかいに類するけれども、新人と新風とを紹介する点にこの種の賞の意味があるので、もちろん在来もそうであったとは思いますが、今後もなおそういうものが選ばれてゆくことを希望したいと思います」である[16]
  5. ^ 1940年(昭和3年)上半期の第11回芥川賞を高木卓が辞退して、世上騒然たる物議を醸し出している。両文学賞史上、受賞辞退はこの二名だけである[17]
  6. ^ 某評論家は、周五郎が辞退した理由を、当時の周五郎の「主要な作品発表の舞台は、おおむね博文館系の雑誌だったために、博文館への義理立てとでも云った心情から、文藝春秋の文学賞を遠慮したのではないか。そういう律儀な性格がとらしめた、一見、佶屈たる行動」と述べているらしい(木村久爾典『山本周五郎-馬込時代』(福武書店)の第12章「直木賞を蹴る」による)[18]
  7. ^ 朝日新聞』の担当記者として周五郎の信頼も厚かった木村久邇典は『随筆 小説の効用』(中央大学出版部)の解題で周五郎の文学観を次のように代弁している。「十年ほどまえ、一部の評論家からは、〝大衆文学芸術派〟などと、一種の敬遠とも受けとれる呼称で別格扱いにもされたが、著者は実作ひとすじによって、ぬき難い偏見の所有者たちをも説得しつづけてきた。著者においては文学には〝純〟も〝不純〟もなく〝大衆〟も〝少数〟もない。最大多数の庶民の側に立つよりよい文学の創造以外にはないのである」[30]。ただし、周五郎は『中島健蔵氏に問う―自省と批判―』で「最大多数の読者」[31]とは書いているものの、木村が書くように「最大多数の庶民」とは書いていない。
  8. ^ 「日本婦道記」を企画、命名したのは『婦人倶楽部』編集部。それが評判になって定着していった[39]。独立した作品を集めて単行本にしたもの。『日本婦道記』自体にも二種類ある。1943年(昭和18年)講談社(当時は大日本雄弁会講談社)版と1958年(昭和33年)新潮文庫版である。収録作品は同じでない。後者は周五郎自身が作品を選定しており、現在ではこれが底本とされている。竹添敦子は、女性を主人公にした周五郎の連作(シリーズもの)と捉えている[40]。底本とされている新潮文庫版には、「松の花」「梅咲きぬ」「節竹」「不断草」「藪の陰」「糸車」「尾花川」「桃の井戸」「墨丸」「萱笠」「風鈴」の11編が収められている[41]。現在は講談社・新潮社どちらからも31編全てを収めた完全版が出版されている。新潮文庫版の累計部数は100万部を超える[42]

出典

  1. ^ a b 清水 1988, p. 221.
  2. ^ 山本周五郎』 - コトバンク、『山本 周五郎』 - コトバンク、『山本周五郎』 - ジャパンナレッジ
  3. ^ a b c d e f g h i j 山本周五郎の日記をたどる/大衆小説の達人 35歳の分岐点『日本経済新聞』朝刊2021年10月3日9-11面
  4. ^ a b c d 山梨県立文学館 1998, p. 6.
  5. ^ a b 歴史読本 2012, p. 298.
  6. ^ 山梨県立文学館 1998, p. 8.
  7. ^ a b c 山本周五郎 兵庫ゆかりの作家”. ネットミュージアム兵庫文学館. 2021年5月14日閲覧。
  8. ^ a b 歴史読本 2012, p. 299.
  9. ^ a b 山本周五郎とは”. コトバンク. 2021年5月14日閲覧。
  10. ^ 池内紀『作家のへその緒』新潮社、2011年5月、205頁。ISBN 978-4-10-375506-7 
  11. ^ 竹添 2015, p. 161.
  12. ^ a b 竹添 2015, p. 99.
  13. ^ 竹添 2015, p. 101.
  14. ^ 竹添 2015, p. 100.
  15. ^ 竹添 2015, p. 108.
  16. ^ 齋藤 2013, p. 280.
  17. ^ 齋藤 2013, p. 294.
  18. ^ 齋藤 2013, p. 296.
  19. ^ 竹添 2015, p. 151-152.
  20. ^ 竹添 2015, p. 152-153.
  21. ^ 竹添 2015, p. 103.
  22. ^ 本牧の文豪 山本周五郎 タウンニュース
  23. ^ 付録 山本周五郎賞受賞作候補作一覧”. 直木賞のすべて. 2021年5月14日閲覧。
  24. ^ 清水 1988, p. 8.
  25. ^ 清水 1988, p. カバー.
  26. ^ 清水 1988, p. 26.
  27. ^ 竹添 2015, p. 90-100.
  28. ^ 全エッセイ 1980, p. 30.
  29. ^ 全エッセイ 1980, p. 5.
  30. ^ 全エッセイ 1980, p. 349.
  31. ^ 全エッセイ 1980, p. 22.
  32. ^ 歴史読本 2012, p. 113-120.
  33. ^ 五木寛之『五木寛之雑学対談』講談社、1975年11月、103頁。 
  34. ^ 生島治郎『生島治郎の誘導訊問 眠れる意識を狙撃せよ』双葉社、1974年11月、42-43頁。 
  35. ^ 生島治郎『生島治郎自選傑作短篇集』読売新聞社、1976年11月、308-309頁。 
  36. ^ 竹添 2015, p. 102.
  37. ^ 清水 1988, p. 85.
  38. ^ 清水 1988, p. 122.
  39. ^ 竹添 2015, p. 53.
  40. ^ 竹添 2015, p. 1.
  41. ^ 竹添 2015, p. 14.
  42. ^ 「生誕100年、山本周五郎は残った──現代人の琴線にふれる時代小説(文化)」『日本経済新聞』朝刊2003年6月21日付40頁
  43. ^ 竹添 2015, p. 92.
  44. ^ 大河ドラマ『樅(もみ)ノ木は残った』”. NHKアーカイブス. 2021年5月14日閲覧。
  45. ^ 金曜ドラマ『赤ひげ』”. NHKアーカイブス. 2021年5月14日閲覧。
  46. ^ 第1回松喬三昧「盗人松喬」余情豊かに(演芸評)日本経済新聞・関西タイムライン(2019年11月1日)


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