南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏とは? わかりやすく解説

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南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏〈延文四年八月/(絹本)〉

主名称: 南嶺子越住筑前聖福寺諸山疏并江湖疏〈延文四年八月/(絹本)〉
指定番号 140
枝番 00
指定年月日 1992.06.22(平成4.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 2幅
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  南嶺子越(一二五-一三六三)は、臨済宗大覚派約翁徳儉法嗣【はつす】で、入元のため西下途中長門守厚東こうとう】武実の招き受けて宇部東隆寺開山となった子越はまた夢窓疎石知遇得て東隆寺をもって長門安国寺となし、諸山列するなど、その伽藍充実努め、のち摂津福厳寺博多聖福寺などに歴住し晩年はまた東隆寺戻り貞治二年九月に七九歳をもって示寂している。
 この両幅は、子越延文四年(一三五九)八月室町幕府命令によって筑前博多聖福寺住持任命されて、入院【じゆえん】するに際して贈られ諸山疏と江湖疏で、共に絹本書かれ正文である。
 諸山疏は、長州安国寺東隆寺)住の子越に対し大宰府管内筑州近隣諸山住持等が、九州第一山たる聖福寺への入寺を敦請し、天竺から中国来て禅を伝えた菩提達磨以来由緒正しき子越の禅風を称揚し、その任命謙遜のため辞退することなく、必ず受諾して就任されんことを勧めたのである
 江湖疏は、足利直義の〓選による子越聖福寺入山慶び江西湖南天下一般の友人知己等が贈ったもので、子越入院一日も早からんことを願っている。
 両通とも、のちの掛幅に際して巻末諸山住持友人知己連署部分除かれている点は惜しまれるが、共に本文は完存するいずれも古体存した四六駢儷体で、後世入寺のような形式とらわれた複雑さみえないが、江湖中には大覚初翁」などのいわゆる禅宗独自の機縁の語がみえてて注目される
 禅宗入寺疏は五山文学中にも重きをなしたが、遺品としては伝来するもの少なく貞和二年(一三四六十二月竺仙梵僊筆の「明叟斉哲開堂諸山疏」(国宝)が最古遺品として知られている。本幅はこれにつぐもので、禅僧入院疏中の山門諸山江湖の三疏軸中の二幅伝えて価値が高い。
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