南三陸シーサイドパレスとは? わかりやすく解説

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南三陸シーサイドパレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 04:14 UTC 版)

南三陸シーサイドパレス
東日本大震災後の南三陸シーサイドパレスホテル跡(2014年3月8日撮影)
所在地宮城県気仙沼市
座標北緯38度46分14.4秒 東経141度30分49.2秒 / 北緯38.770667度 東経141.513667度 / 38.770667; 141.513667
住所本吉町中島
開業1972年昭和47年)
閉鎖1980年代
面積約3ha

南三陸シーサイドパレス(みなみさんりくシーサイドパレス)は、かつて宮城県本吉郡本吉町(現在の気仙沼市本吉町中島)の旧小泉村域にあったレジャー施設である。

概要

1972年昭和47年)、旧小泉村三陸海岸沿いに、東京の株式会社東北建設(代表は同村出身者)が3階建てのホテルを備えた遊園地としてオープンした[1]。遊園地のアトラクションは、ボウリング場、メリーゴーランド、ゴーカート、観覧車、スカイジェット、コーヒーカップなどがあった。

1975年(昭和50年)11月に和光建設(東京都)に買収された後[2]1977年(昭和52年)12月11日には津谷川を挟んで向かい側に気仙沼線陸前小泉駅が開業してアクセスの改善があったものの、消防法の改正により改修費用が膨大になることがわかり、それを機会に1987年(昭和62年)に閉鎖された。

閉鎖後に遊園地の遊具類は撤去されたが、ホテルの建物は残っていた。また、近くの小泉海水浴場はサーフスポットとして県内及び近郊のサーファーが訪れていた。

2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の際には地盤沈下および20m級の大津波の直撃を受け、周囲の松林と小泉海水浴場は消滅し、建物が新たな海岸線から太平洋(小泉湾)にせり出した形となった。しかし倒壊の危険性が高いことから2015年(平成27年)5月19日に建物の解体決定が報じられ[3]、同年6月下旬に取り壊された[4]

脚注・出典

  1. ^ 海辺の記憶 気仙沼・小泉 サケ、藩制期から特産に河北新報 2013年11月13日)
  2. ^ 会社概要 沿革(和光建設株式会社)
  3. ^ 福岡麻子 (2015年5月19日). “南三陸シーサイドパレス解体へ”. KRA BLOG. 一般社団法人 気仙沼復興協会. 2016年11月18日閲覧。
  4. ^ “海水につかったホテル、遺構に選定されず解体へ”. 読売新聞 (読売新聞社). (2015年6月8日). http://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000305/20150608-OYT1T50060.html 2016年11月18日閲覧。 




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