みなみ‐オーストラリア【南オーストラリア】
南オーストラリア州
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南オーストラリア州(みなみオーストラリアしゅう、英: South Australia, 略語:SA)は、オーストラリア中央南部に位置する州である。
西オーストラリア州 | ノーザンテリトリー | クイーンズランド州 | ||
西オーストラリア州 | ニューサウスウェールズ州 | |||
南オーストラリア州 | ||||
インド洋 南極海[注釈 1] | インド洋 南極海[注釈 1] | ビクトリア州 |
注釈
出典
- ^ 5220.0 – Australian National Accounts: State Accounts, 2010–11.
- ^ “3101.0 – Australian Demographic Statistics, Mar 2012”. オーストラリア統計局 (2012年9月27日). 2012年10月5日閲覧。
- ^ South Australian Police Historical Society Inc. Accessed 13 September 2011.
- ^ Cat. No. 3218.0 - Regional Population Growth, Australia, 2011 Australian Bureau of Statistics. Accessed 10 August 2012
- 1 南オーストラリア州とは
- 2 南オーストラリア州の概要
- 3 歴史
- 4 教育
南オーストラリア州
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「オーストラリアの地方政府」の記事における「南オーストラリア州」の解説
南オーストラリア州は、州全域の 60% が非法人地域であり、その中に位置するコミュニティは、一般的な基礎自治体が提供するサービスを、州政府の官庁であるがアウトバック・コミュニティ庁 (Outback Communities Authority) が担っている。
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南オーストラリア州
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「オーストラリアのクリスマス」の記事における「南オーストラリア州」の解説
アデレードでは、アデレード・クリスマス・ページェント(英語版)という伝統行事が知られている。このイベントのパレードはこの種の中では最も大きいもので、観客動員数は40万人を越える。これは1933年にデパート「John Martins」が始めたもので、毎年11月初旬の通常は土曜日の朝に行われ、クリスマス・シーズンの到来を告げる。山車、音楽バンド、ピエロ、ダンス、大道芸人などが行列を作り、ファーザー・クリスマスの登場でイベントは最高潮に達する。そしてファーザー・クリスマスが店内に置かれた魔法の洞窟へと入ることでページェントでの行進が終わる(今日ではデパート主催ではないために2019年よりアデレード・タウンホールが終着点に変更された)。また各地の中心街でも小規模なクリスマス・ページェントが催される。 南オーストラリア州ではボクシング・デーがないが、クリスマスの翌日を「布告日」として休日にしている。また、クリスマス・イブは夜7時から真夜中にかけて休日に設定されている。
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南オーストラリア州
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「オーストラリアワイン」の記事における「南オーストラリア州」の解説
アデレードを州都とする南オーストラリア州は、アメリカ合衆国におけるカリフォルニア州のように「ワイン州」として知られる。2012年-13年にはオーストラリア全体の46%に相当する57万キロリットルのワインが南オーストラリア州で生産された。オーストラリアに存在する主要なブドウ栽培・ワイン醸造研究機関はすべてこの州に存在する。 バロッサ・ヴァレー(英語版) バロッサ・ヴァレーはアデレードの北60kmにあり、オーストラリア最大の高級ワイン産地である。年降水量500mmの地中海性気候であり、味のバランスがよく濃縮感の強いワインを生産している。2014-15年には第2位のクナワラや第3位のマクラーレン・ヴェイルを上回り、オーストラリアでもっとも輸出単価(1リットル当たりの輸出金額)が高い地理的表示産地だった。 ヌーリオッパ(英語版)の町を中心とし、ブドウ畑は標高230mから550mまで続く。ドイツ系移民(英語版)が多く、建物やブドウ畑はドイツの面影を有している。オーランド・ウィンダム、ペンフォールズ、セッペルト、ウルフ・ブラス、ヤルンバなどオーストラリアを代表するワイナリーが軒を連ねており、バロッサ・ヴァレーのワイナリーだけでオーストラリア産ワインのかなりの割合を生産しているが、原料となるブドウは隣接するリヴァーランドやエデン・ヴァレーなどの産地などから持ち込まれている。 マクラーレン・ヴェイル(英語版) 1838年に南オーストラリア州で初めてブドウが植えられた地域である。イギリスからの移民によってワイン生産がはじめられた。濃厚な風味を持つ黒品種を栽培しており、古くからのシラーズ種、グルナッシュ種、カベルネ・ソーヴィニヨン種に加え、近年にはメルロー種が植えられている。この地域で栽培されるブドウの多くは地域外のワイナリーでワインとなる。1980年代のワインブーム期には小ワイナリーが続々と誕生した。
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南オーストラリア州
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「ビッグ・シングス」の記事における「南オーストラリア州」の解説
名称場所設置大きさ備考画像オーストラリアン・ファーマー(英語版) ウディナ 2008 8m 初めて企画されてから公開までに17年の時を要した、オーストラリアン・ファーマー(巨大農夫の名でも知られる)は南オーストラリア州ウディナの街にある。アーティストのマリヤン・ベキッチとその息子デイヴィッドが2007年から2年かけて彫刻した作品である。この地に植民が始まったころの農夫を表現しており、高さはおよそ8メートル、地元の御影石およそ70トンから彫りだしている 巨大チャーチ・ブロック・ワインボトル マクラーレン・ベール 2010 10m 「我らが芸術作品」と名づけられた巨大チャーチブロック・ワインボトルは高さ10メートルのチャーチブロック・ワイン、ウィラ・ウィラのボトルを模した作品である。メルボルンのサウスバンクで2010年3月に開催されたメルボルン・フードアンドワイン・フェスティバルに向けて建造された。巨大なボトルは2010年3月14日から19日までメルボルンに設置され、2010年4月からマクラーレン・ベールにあるウィラ・ウィラのブドウ園にあらためて置かれることになった。5つのパーツから出来ており、鉄骨フレームに金網を巻いてつくられている。この金網を、リサイクル品であるコルクが完全に覆い尽くしているのがこのモニュメントである。パーツをつなぎとめる索にするため、1個1個のコルクに穴が開けられ、ゴムひもが通されている 巨大サイコロ バリア・ハイウェイ 巨大サイコロは小さなピラミッド状に積まれた6個のコンクリートブロックから出来ている。ユンタとマナ・ヒルにはさまれた、ちょうどバリア・ハイウェイを出てすぐのところにある 巨大ガラー キンバ 1993 8m x 2.5m キンバの「ハーフウェイ・アクロス・オーストラリア・ツァーリスト・ショップ」にある巨大ガラー(モモイロインコ)はロバート・ベニングが鉄骨フレームに繊維ガラスを重ねてつくった作品で、1993年に公開された。この地方でよく目にするガラーをモデルにしており、高さ8メートル、幅2.5メートル、重さはおよそ2.3トンある 巨大カンガルー ボーダー・ヴィレッジ 1986 5m x 2m ルーイ2世としても知られる巨大カンガルーは南オーストラリア州のボーダー・ヴィレッジにあり、ちょうど西オーストラリア州との州境に設置されている。ビル・メッセラルによってデザインされ、鉄骨フレームにパルプと繊維ガラスをかねてつくられてたルーイには、ヨットレースのアメリカズカップのためパースに向かう旅行者を呼び込む目的があった 巨大ロブスター(英語版) キングストン・SE 1979 17m x 15m x 13m 地元では「ラリー」の名で知られている巨大ロブスターは、ポール・ケリーがデザインおよび制作を手がけた(彼は巨大スコッツマンのデザインも行ってる)。観光案内所やレストランに人を呼び込む手段として、鉄骨フレームと繊維ガラスを材料に6ヶ月かけてつくられた。この大きさは間違っており、本来の計画ではフィートであったところをケリーがメートルと勘違いしたのだと言われている 炭鉱夫のマップ(英語版) カパンダ 1988 8m x 2m マップ・ケルノウや「コーンウォールの息子」とも呼ばれる、炭鉱夫のマップはかつてカパンダで働いたコーンウォール出身の炭鉱夫を表現している。街の南端にそびえる、ベン・ヴァン・ゼッテンが手がけたこの作品は、1988年6月5日に公開された。この像は2006年に火事のため壊れてしまったが、後に再建された 巨大オリーブ テーレム・ベンド 2009 11m 巨大オリーブはオリーブ加工工場と観光案内所に旅行客を呼び込む目玉として制作された。テーレムベンドからちょっと外れた場所にあり、緑と黒のオリーブからなる。高さ8メートル、重さ1トン。二つのオリーブはニューウェル・グループによって繊維ガラスからつくられ、2005年4月にこの街に設置された 巨大オレンジ(英語版) ベリー 1980 15m x 12m 南オーストラリア州のリバーランドにある巨大オレンジは、アデレードを拠点に活動する建築家ジョン・トゥペニーがデザインを手がけた。鉄骨フレームをおおう繊維ガラスのパネルでつくられており、構造全体の重さはおよそ85トンに及ぶ。4階建てになっており、1階から土産物店、カフェ、地元の風景を描いた壁画スペース、展望台が各フロアを占めている 巨大オイスター セドゥナ 1992 巨大ペリカンと同じく巨大オイスターも、地元の祭りであるオイスターフェストのパレードフロートとしてつくられた。レオン・ヴェールハウスが鉄筋コンクリートから制作した作品である。1994年にパレードの出し物となる役目を終えた 巨大ペリカン ロクストン 1992 もともと巨大ペリカンは1979年に地元のマルディグラに出すパレードフロートとしてつくられた。アデレードの祭りをはじめ幾度となくこの役目を果たしたパピエマシェのペリカンは、1992年に繊維ガラスを重ねて作り直された。その後はロクストン・キャラバン・パークに置かれた 巨大ラム カルーンダ 2003 2m x 3m カルーンダの巨大ラムは、この地域における養羊業の重要性を表している。カルーンダ開発局による推進を受け、レイルウェイローンズに置かれた巨大ラムの大きさは、高さ2メートル、全長3メートルのコンクリート製である 巨大ロッキングホース(英語版) ガメラチャ 1981 18m x 17m 木製玩具工場と野生動物公園の複合施設の一部である、アデレード・ヒルズの巨大ロッキング・ホース(揺り木馬)は高さ18メートル以上、重さ25トン以上ある。デイヴィッド・マッキントッシュとジョン・トゥペニーがデザインし(後者は巨大オレンジのデザイナーでもある)、10万ドル以上の予算をかけ8ヶ月で制作された。鉄骨構造で展望台が三箇所ある 巨大スコットランド人 メディンディー 1963 5m x 1m 巨大スコットランド人は「スコッティ」の愛称でも知られており、1963年に建造された(巨大バナナ(英語版)より1年早いことになる)。市街地であるメディンディーのメイン・ノース・ロードとノテージ・テラスの交差点にスコッティがいるモーテルがある。このモニュメントは、後に巨大ロブスター(英語版)を制作するポール・ケリーによって制作された 巨大ウィンチ クーバーペディ 1986 8m x 5m 巨大ウィンチはクーバーペディのオパール採掘業に感謝の気持ちを表した作品である。クラウス・ワイリスが1970年代に制作したオリジナルの巨大ウィンチは1986年に破壊されたが、その直後に再建されている 巨大ヤビー クレイトン 1973 2m 1973年にヘンリー・ジョーンズによって制作された巨大ヤビー(ザリガニ)はマレー川に面したクレイトンの街にある。もともとはジョーンズの家族が経営する「ヤビー・シティー・レストラン」に置かれていた。その後レストランはオーナーが変わり、名前も「セイルズ・アト・クレイトン」に変わってメニューからヤビーが外されてからもコンクリート製のヤビーはそのままだった
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南オーストラリア州
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「ドイツ語系の地名から改名されたオーストラリアの地名一覧」の記事における「南オーストラリア州」の解説
1918年1月1日に公示された1917年の地名命名法 (Nomenclature Act, 1917) によって、数多くの地名が変更された。 変更前地名変更後地名変更日注バーチズ・クリークBartsch's Creek イェドラクー・クリークYedlakoo Creek 1986年に「バーチ・クリーク (Bartsch Creek)」へ改名。 ベルリン・ロックBerlin Rock パンパンディー・ロックPanpandie Rock ベサニエンBethanien ベサニーBethany ビスマルクBismarck ウィールーパWeeroopa ブラムバーグBlumberg バードウッドBirdwood 1918年7月1日 ブルーメンタルBlumental ラッカリLakkari ブーフスフェルデBuchsfelde ルースLoos 後に「ブーフフェルデ (Buchfelde)」へ改名(「ス/s」の有無に注意)。 ケープ・バウアーCape Bauer ケープ・ウォンドマCape Wondoma 1948年にケープ・バウアーに戻された。 カールスルーエCarlsruhe クンデンKunden 1918年 エーレンブライトシュティエンEhrenbreitstien マウント・イェリラMount Yerila フェルディナンド・クリークFerdinand Creek エマベラ・クリークErnabella Creek マウント・フェルディナンドMount Ferdinand マウント・ワラビリンナMount Warrabillinna フリーデンシュタールFriedensthal ブラック・ヒルBlack Hill フリードリヒシュタットFriedrichstadt タンガリTangari フリードリヒスバルデFriedrichswalde ターンマTarnma 1918年7月1日 ゲッパーツ・ヒルズGebhardt's Hills ポリゴン・リッジPolygon Ridge 1986年に「ゲッパート・ヒルズ (Gebhardt Hills]」に戻された。 ジャーマン・クリークGerman Creek バナラ・クリークBenara Creek 1986年に元に戻された。 ジャーマン・パスGerman Pass トッパ・パスTappa Pass ジャーマンタウン・ヒルGermantown Hill バイミー・リッジVimy Ridge 後に道路名のみ、「ジャーマンタウン・ヒル」に戻された。 グナーデンフライGnadenfrei マラナンガMarananga ゴットリープス・ウェルGottlieb's Well パーンギ・ウェルParnggi Well グルンバーグGrunberg カラルタKaralta 1975年に「グルエンバーグ (Gruenberg)」に戻された。 グルンタールGrunthal ベルダンVerdun 1918年7月1日 ハーンドルフHahndorf アンブルサイドAmbleside 1918年7月1日 1935年に「グルエンバーグ (Gruenberg)」に戻された。 ハッセズ・マウンドHasse's Mound レアラー・マウンドLarelar Mound ハイデルベルクHeidelberg コバンディラKobandilla ハーゴット・スプリングスHergott Springs マリーMarree 1918年7月1日 ヒルデスハイムHildesheim プンタリPunthari 1918年7月1日 ホフヌングスタルHoffnungsthal カラウィラKarawirra 1975年に「ホフヌングスタル (Hoffnungsthal)」に戻された。 ハンドレッド・オブ・ベイスドウHundred of Basedow ハンドレッド・オブ・フレンチHundred of French ハンドレッド・オブ・ホムバーグHundred of Homburg ハンドレッド・オブ・ヘイグHundred of Haig ハンドレッド・オブ・クリヒアウフHundred of Krichauff ハンドレッド・オブ・ビーティーHundred of Beatty ハンドレッド・オブ・ペヒHundred of Paech ハンドレッド・オブ・カナウィガラHundred of Cannawigara ハンドレッド・オブ・プフラウムHundred of Pflaum ハンドレッド・オブ・ギーギーラHundred of Geegeela ハンドレッド・オブ・ノース・ラインHundred of North Rhine ハンドレッド・オブ・ジェリコHundred of Jellicoe ハンドレッド・オブ・サウス・ラインHundred of South Rhine ハンドレッド・オブ・ユトランドHundred of Jutland ハンドレッド・オブ・シャークHundred of Scherk ハンドレッド・オブ・スターディーHundred of Sturdee ハンドレッド・オブ・ショムバークHundred of Schomburgk ハンドレッド・オブ・モードHundred of Maude ハンドレッド・オブ・フォン・ドゥーサVon Doussa ハンドレッド・オブ・アレンビーHundred of Allenby イェンシュタウンJaenschtown カーカニャKerkanya カイザーストゥールKaiserstuhl マウント・キッチナーMount Kitchener 1918年 1975年に「カイザーズ・シート (Kaiser's Seat) と改名し、さらに現在はカイザーストゥールに戻っている。 クレベスKlaebes キルトKilto クレムツィッヒKlemzig ガザGaza 1918年7月1日 1935年に「クレムツィッヒ」に戻されたが、フットボール・クラブの名称は「ガザ」のままである。 クラウゼ・ロックKrause Rock マーティ・ロックMarti Rock キルヒアウフKrichauff ビーティーBeatty 1940年に「マウント・メアリ (Mount Mary)」と改名。 クロンスドルフKronsdorf カブミニエKabminye 1975年に「クロンドルフ (Krondorf)」と改名(「ス/s」の有無に注意)。 ラングドルフLangdorf カルドゥキーKaldukee その後、合併によってタヌンダ (Tanunda) の一部となっている。 ラングマイルLangmeil ビルヤラ(タヌンダ近郊)Bilyara (near Tanunda) 1975年に「ラングマイル (Langmeil)」に戻された。 ローベタルLobethal ツイードベール 1918年7月1日 1935年に「ローベタル (Lobethall)」に戻された 。 マウント・マイヤーMount Meyer マウント・コートMount Kauto ミューラーズ・ヒルMuller's Hill ヤンディナ・ヒルYandina Hill ノイドルフNeudorf マムブルディMamburdi 1986年に元に戻され、その後、ローベタルの一部となっている。 ノイキルヒNeukirch ディムチャーチDimchurch 1975年に「ノイキルヒ (Neukirch)」に戻された。 ニューハンバーグNew Hamburg ウィリールーWillyaroo ニュー・メクレンバーグNew Mecklenburg ゴマーサルGomersal 1918年7月1日 オリベンタルOliventhal オリーブデールOlivedale その後、バードウッドの一部となっている。 ピータースバーグPetersburg ピーターボロPeterborough 1918年7月1日 地元の新聞『Petersburg Times』は、1919年まで地名変更に反対し、抗議として旧地名を使い続けた。 ライン・パークRhine Park コンゴリアKongolia ライン・ヒルRhine Hill モンス・ヒルMons Hill ライン川(北)Rhine River (North) ソム川The Somme 1971年に「Somme Creek」と改名。 ライン川(南)Rhine River (South) マルヌ川The Marne 1971年に「Marne River」と改名。 ライン・ビラRhine Villa カンブレーCambrai 1918年7月1日 ローゼンタルRosenthal ローズデールRosedale 1918年7月1日 シェーンタルSchoenthal ブーンガラBoongala 1986年に元に戻され、その後、チャールストン (Charleston) の一部となっている。 ゼッペルツSeppelts ドーリエンDorrien その後、合併によってヌリオートゥパ (Nuriootpa) の一部となっている。 シュライバーハウSchreiberhau ウォールWarre 1975年に元に戻された。 ジーガースドルフSiegersdorf ブルタウィタBultawilta 1975年にジーガースドルフに戻され、その後、合併によってタヌンダ (Tanunda) の一部となっている。 シュタインフェルトSteinfeld ストーンフィールドStonefield 1918年7月1日 1986年に元に戻された。 サマーフェルトSummerfeldt サマーフィールドSummerfield その後、合併によってパーマー (Palmer) の一部となっている。 フォーゲルサングス・コーナーVogelsang's Corner ティークーアTeerkoore 1918年7月1日 1986年にフォーゲルサング・コーナー (Vogelsang Corner) と改名され、その後、ジェラニウム・プレーン (Geranium Plains) の一部となっている。 ビュッサーズ・ノブWusser's Nob カラン・ノブKarun Nob 1983年にビュッサーズ・ノブに戻された。
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