千代ノ山雅信とは? わかりやすく解説

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千代の山雅信

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 01:57 UTC 版)

千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ、1926年6月2日 - 1977年10月29日)は、北海道松前郡福島町出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第41代横綱。本名は杉村 昌治(すぎむら まさはる)。


注釈

  1. ^ 優勝決定戦を行わず、番付が上位の者が優勝となっていた。優勝決定戦制度は翌々場所の1947年夏場所から導入されたが、これ以降で幕内での全勝、または土付かずの力士が複数人出た例はない。
  2. ^ 旧・両国国技館の開館(1909年)以降、新入幕の土つかず(無敗)は1914年5月場所の両國勇治郎(前頭14枚目)、1917年5月場所の大潮又吉(前頭13枚目)以来3人目の快挙。ただし両國は9勝1休、大潮は9勝1預だったため、皆勤による全勝は千代の山が史上初となった。両國の1休については本人の項を参照。
  3. ^ 千代の山は翌場所4日目に初黒星を喫するまで新入幕から13連勝を記録したが、これは2022年現在破られていない。
  4. ^ その後、2022年までに大関時代に連覇を達成しても横綱昇進を見送られた例は無い。
  5. ^ 2013年9月場所の大相撲中継では、独立時に九重部屋へ帯同した弟子の1人である北の富士勝昭が「(太っているように見せるために)腹をつまんで廻しの外へ引っ張り出していた」と話すなど、千代の山が太れない体質に悩んでいた様子を語っていた。
  6. ^ 5日目終わって1勝4敗の成績は、2018年1月場所の稀勢の里まで65年間なかった。
  7. ^ 当時これについて時津風は「私の現役時代を考えても、不調の場合、大関に下げてもらえるというならもう少し気楽に取れていたと思う」と千代の山のこの申し出に共感するところを語っていた。一方で、ある日の取組で観客から「引退して『花月』(妻の実家の料理店)で板前をしろ」とヤジが飛び、これを心底気にして横綱返上を決意したという。
  8. ^ 北の富士は、中日スポーツ連載のコラム「はやわざ御免」(2020年5月31日掲載)でその日のことを述懐している。それによると、出羽海部屋の大広間に一門の親方衆・全関取が集まり、そこに11代九重が呼び出された。北の富士と松前山は近くの小部屋で待機しており「今、九重から独立の申し入れがあったが、一門には常陸山(元横綱)の独立許さじの不文律があり、そもそも自分が連れてきたからといっても、弟子が強くなったから行くとは人道的に許されるものではない。若い力士の将来があるので、本来は首でもおかしくはないが、出羽海一門から破門ということで独立を許す」といった内容を述べる8代出羽海の声を聴いた。「千代の山この野郎!」「裏切り者!」という罵声のなか、11代九重は正座して「寛大な処分、ありがとうございます」と深々と頭を下げていたという。
  9. ^ 独立を考えた時は、既に高砂と話をつけてあったという。また、当時最高の腕を誇った床山が九重の所属になったが、独立を許された背景には先代(常ノ花)の遺族が九重の味方に回ったという事情もあった。
  10. ^ BS-TBS 「関口宏の人生の詩 北の富士勝昭の真剣道楽人生」(2015年4月19日放送)より。北の富士は引退直後に結婚していたが、その後の九重継承から千代の富士の大関、横綱昇進までの間に離婚しており、千代の富士の大関、横綱昇進の辺りは独身に戻っていた。その後、現在の夫人と再婚をしており、北の富士の直弟子の北勝海信芳が大関、横綱昇進時は再婚後だった為、現在の夫人と伝達式に同席している。
  11. ^ 腰部打撲
  12. ^ 扁桃腺炎により3日目から途中休場、11日目から再出場
  13. ^ 第2及び第3腰椎外傷性奇形性関節炎・第5腰椎離間症により6日目から途中休場
  14. ^ 大内山と優勝決定戦
  15. ^ 右膝関節神経損傷により5日目から途中休場
  16. ^ 両膝関節変形症・左股関節及び腰部捻挫により13日目から途中休場
  17. ^ 右膝関節変形症・右坐骨神経炎により5日目から途中休場

出典

  1. ^ a b c d e f g h 北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)42ページから43ページ
  2. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p70-72
  3. ^ a b c d e f ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p22
  4. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK) p10
  5. ^ 石井代蔵 著『土俵の修羅』p338「お家騒動・新興九重部屋二代」,新潮社,1985.11
  6. ^ a b ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』p38(2017年、B・B・MOOK)
  7. ^ 正高, 近藤. “ご存知ですか? きょう2月2日は九重部屋発足の日です”. 文春オンライン(2017年2月2日). 2021年6月15日閲覧。
  8. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p39
  9. ^ a b 『天下盗り狼〜千代の富士 貢 ─ 九重三代風雲録〜』(徳間書店)
  10. ^ 北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p151
  11. ^ 『大相撲中継』2017年9月16日号 p85
  12. ^ 『ウルフ』の名付け親はもちろん私です。両国に土地買えず江戸川区に井筒部屋興し独立しました【北の富士コラム】 中スポ・東京中日スポーツ 2020年6月5日 22時09分(2020年6月30日閲覧)
  13. ^ 時津山と優勝決定戦


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