十一面観音
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十一面観音(じゅういちめんかんのん)、梵名エーカダシャムカ (एकदशमुख ekadaśamukha[1])は、仏教の信仰対象である菩薩の一尊。観音菩薩の変化身(へんげしん)の1つであり、六観音の1つでもある。頭部に11の顔を持つ菩薩である[1]。梵名は「11の顔」、「11の顔を持つもの」の意。
- ^ a b c d e 「十一面観音」 - 世界大百科事典 第2版、平凡社。
- ^ 「十一面観音」 - 百科事典マイペディア、平凡社。
- ^ 「十一面観世音」 - 大辞林 第三版、三省堂。
- ^ a b 小瀧宥瑞『すごい真言』2023年 フォレスト出版 96頁
- ^ 『続豊山全書』(臨川書店)第5巻所収
- ^ 伊藤丈『七観音経典集』(大法輪閣)p.138
- 1 十一面観音とは
- 2 十一面観音の概要
- 3 陀羅尼
- 4 関連項目
十一面観音菩薩
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「慈恩寺 (岐阜市柳津町)」の記事における「十一面観音菩薩」の解説
高桑山慈恩寺の本尊。岐阜市の指定文化財(昭和56年11月20日指定)。元は、鎌倉時代に岐阜市柳津町高桑周辺で栄えた高桑城城主・高桑氏の守りの本尊。高桑城城主の菩提寺である龍雪寺の本尊として祀られていた。大永7年(1527年)、高桑城は斉藤道三に攻撃されて落城し、高桑一族は、隣国越前国(福井県)に逃れ去った。それに伴って龍雪寺は廃寺となった。永禄元年(1558年)になって、雲外和尚が龍雪寺の跡地に高桑山慈恩寺を開基し、龍雪寺にあった十一面観音菩薩は、幸いにも高桑山慈恩寺に引継がれた。また、十一面観音菩薩を祀った観音堂の石垣の部分は、かつてこの地に存在した高桑城の石垣を利用したもの。
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