美濃衆
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美濃衆(みのしゅう)は、江戸時代の交代寄合(江戸幕府に代々仕えた旗本)。美濃国石津郡多良郷(現在の岐阜県大垣市)を所領としており、西高木家2,300石を筆頭に、東高木家1,000石、北高木家1,000石の高木氏3家からなる。伊那衆・那須衆・三河衆とともに美濃衆は交代寄合のうち「四衆」に分類される。
- ^ 「幕府権力の特質 交代寄合高木家を事例にして」伊藤孝幸、『愛知学院大学人間文化研究所紀要 人間文化 第14号』1999年09月
- ^ 「田沼意次邸の「中勝手通」美濃衆東高木家の家督相続をめぐって」福留真紀、『古文書研究』第76号2013年12月
- ^ 「旗本交代寄合高木家の治水役儀をめぐって 笠松役所との関係を中心に」杉山晶則、2000年『名古屋大学繁物間報告16』
- ^ 「交代寄合高木家の江戸屋敷獲得仕法」原田佳伸、『論集きんせい』12、1990年
- ^ 「維新期における旧交代与合高木家の江戸屋敷と江戸詰役人」伊藤孝幸、2003年(『愛知学院大学文学部紀要 33』)
- ^ 酒井家次の弟。
- ^ 「近世後期における交代寄合高木家の婚姻について」伊藤孝幸、『愛知学院大学人間文化研究所紀要 人間文化16』2001年09月
- ^ 西高木貞臧の長男の永貞室と同一?
- ^ 越後国村松藩主堀直尭五男
北高木家
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西高木家2代 貞久の子から分家 初代 貞俊 - 西高木家の貞利の兄の定家の子。貞利・貞友らの甥であるが、貞久の養子となり義兄弟となった。織田信長次いで徳川家康に仕え、上総国や武蔵国で500余石を知行していたが、美濃に移封され1千石。室は縄生意見の妹。 2代 貞元 - 室は津田信成の娘。娘は東高木家の貞次室。 3代 貞重 4代 易貞 - 室は西高木家の貞則の娘。 5代 貞庸 6代 允貞 - 貞庸の弟。室は渡辺基綱の娘。 7代 貞明(貞辰) - 允貞の長男。 8代 貞一 - 允貞の次男。室は間部詮方娘 9代 貞固 - 允貞の三男。室は分部光庸の長女、後室は分部光庸の三女。 10代 貞雄 - 貞固の婿養子。旗本大久保忠元の三男。 11代 貞興 - 貞雄の婿養子。旗本本多成孝次男。 12代 貞金 13代 貞有(貞郷) 14代 貞@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}●(●は「武」偏に「攵」)[要検証 – ノート] 15代 貞栄
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