北陸鉄道能登線
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能登線(のとせん)は、かつて石川県羽咋市の羽咋駅から同県羽咋郡富来町(現在の志賀町)の三明駅の間を結んでいた北陸鉄道の鉄道路線である[1]。もともと沿線の人口が少ない路線ではあったが、1960年代には沿線の過疎化やモータリゼーションの進行(国道249号の整備など)により累積赤字が膨らみ、北陸鉄道の経営合理化のため1972年(昭和47年)6月25日に廃止となった[2]。
- ^ a b c d e 朝日 2011, p. 25.
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第31回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「時事新報社第三回調査全国五十万円以上資産家」『時事新報』1916年4月28日(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 『石川百年史』1972年、767頁
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1920年11月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状失効」『官報』1925年2月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 朝日 2011, p. 18.
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年3月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 官報によれば貸切扱い到着貨物に限る「地方鉄道駅設置」『官報』1926年9月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許状下付」「鉄道免許取消」『官報』1926年12月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1927年7月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許一部失効」『官報』1935年6月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「鉄道免許失効」『官報』1936年5月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 鉄道省監督局「地方鉄道、軌道事業の現況並に異動」『電気協会雑誌』第206号、日本電気協会、1939年2月、附録2頁。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 朝日 2011, p. 19.
- ^ 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くIII』 北陸・上越・近畿編、JTBパブリッシング、2008年、58頁。ISBN 978-4-533-07145-4。
- ^ 廃車後の写真は3号機のプレートのままである「能登鉄道/北陸鉄道 能登線の車両たち」[要ページ番号]
- ^ 南野哲志・加納俊彦『三岐鉄道の車輌たち』ネコパブリッシング、2004年、15頁
- ^ 鹿島信弘「北陸鉄道近況」『鉄道ファン』No.98[要ページ番号]
- ^ 客車略図 形式858略図ではロハとなっている
- ^ 客車略図 形式2195
- ^ 客車略図 形式2195
- ^ 客車略図 形式2217
- ^ 一説によると、大元は筑前参宮鉄道のミヤ100形のうちの1両だという[独自研究?]。
- ^ “【よみがえる鉄路の記憶 西脇恵さん撮影】映画に登場した翌年廃線”. 北陸中日新聞Web. (2020年6月29日). オリジナルの2020年8月9日時点におけるアーカイブ。 2022年1月9日閲覧。
- 1 北陸鉄道能登線とは
- 2 北陸鉄道能登線の概要
- 3 駅一覧
- 4 代替バス
固有名詞の分類
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