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北近江城館跡群
下坂氏館跡
三田村氏館跡

名称: 北近江城館跡群
 下坂氏館跡
 三田村氏館跡
ふりがな きたおうみじょうかんあとぐん
 しもさかしやかたあと
 みたむらしやかたあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 滋賀県
市区町村 長浜市
管理団体
指定年月日 2006.01.26(平成18.01.26)
指定基準 史2
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 下坂氏館跡は、滋賀県北部長浜平野南西部に位置し、東に伊吹山麓、西に琵琶湖を望んでおり、館跡の北側には姉川を源とする五井戸川流れ自然堤防上の高地周辺に囲まれた場所に位置している。
下坂氏は、近江国坂田郡下坂庄の国人領主であり、その出自については諸説あるが、建武3年(1336)の足利直義感状があり、この時期には足利方として活躍していたことがわかる。その後応仁の乱から戦国期にかけては、一族間の内紛抱えながらも京極氏浅井氏家臣として活躍したことが多く残存する史料下坂文書長浜市指定文化財)からわかる。 浅井氏滅亡後、下坂氏は帰農するが、江戸期郷士として彦根藩関わり持ち、現在も下坂の子孫が館跡に居住管理している。
近江湖北地方には、こうした在地土豪平地居館が、長浜市高田氏館跡・垣見氏館跡、浅井町三田村氏館跡木之本町小山氏館跡など多数所在し、中世における当地方の高い生産性を持った農民支配あり方裏付けられる国人領主存在形態を示すものとして貴重である。
館跡は、東西約89m、南北約87mのほぼ正方形範囲に、高さ約1mから2m、幅約2mから5mの土塁二重囲み周囲を幅約5mから13m、深さ約1mから3mの堀が囲む。主郭は、東西約55m、南北約42mの内側土塁によって囲まれ、その北東側南西側の4つの副郭によって構成される。南西側の副郭は、一段高くなっており、伝承では有事の際にはここに立て籠もり防戦したとされる内側土塁東側に高さ約2m、幅約7mの虎口設けている。また、館内東南部には下坂家の菩提寺である不断光院所在し、その東側には幅約5mの土塁が、約30m残存している。館跡には、18世紀前期建築されたと考えられる木造入母屋造ヨシ葺の主屋切妻造茅葺の門、木造入母屋造ヨシ葺の不断光院本堂などが所在し、往時景観維持している。
長浜市教育委員会では、平成7年に館跡全体測量調査実施し、平成16・17年度には時期等を確認するための調査を行った。その結果土師皿や輸入陶磁器など14世紀から16世紀遺物出土とともに建物跡・土塁跡・排水路跡・階段遺構等を検出し、14世紀からの館跡の存在想定されるものとなった。
このように南北朝から戦国期にかけて国人領主として活躍した下坂氏の館跡が、現在も土塁・堀等の遺構とともにその景観を留め、発掘調査結果からも中世からの所在確認されたことは、当地方に良好に残る平地居館群の所在併せて我が国中世から近世にかけての地域支配あり方考え上で貴重である。
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