北見競馬場
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北見競馬場(きたみけいばじょう)は、かつて北海道北見市にあった地方競馬の競馬場。
- ^ a b 国土地理院ホームページ「地図・空中写真閲覧サービス」のUSA-M588-30
- ^ “北見場外発売所(ミントスポット北見)オープニングイベント”. ばんえい十勝 (2009年6月30日). 2009年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月14日閲覧。
- ^ “さよなら北見競馬場イベント 6月28(日)・29日(月)”. ばんえい十勝 (2009年6月22日). 2009年6月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月14日閲覧。
- ^ 「屋根型林道」普及へ 北見工大模擬実験スタート 北海道建設新聞社・2018年12月1日・2019年1月6日閲覧
- ^ 北見工大に防災研究センター開所 NHK・2019年5月28日・2019年6月2日閲覧
- ^ “コース紹介”. ばんえい競馬オフィシャルホームページ. 2006年6月16日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年3月17日閲覧。
- 1 北見競馬場とは
- 2 北見競馬場の概要
- 3 アクセス
北見競馬場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 05:42 UTC 版)
「競馬の歴史 (北海道)」の記事における「北見競馬場」の解説
北見地方(網走支庁)の競馬は1897年8月、常呂郡野付牛村(現在の北見市)において護国神社の完成を記念して祭典余興競馬が開催されたのが最初とされる。現在の野付牛公園附近にあった牛馬市場の敷地を、軍兵員が鎌で草刈り馬場とした。当時の兵村に馬はいなかったため、網走郡網走村(現在の網走市)から駄馬を駆り出して行われ、騎手も大半はアイヌ人だったという。その後は1906年から1908年にかけて網走産牛馬組合による競馬が開催された記録がある。 一方、現在の大空町である網走郡網走町女満別でも大正時代初期には高薄農場において草競馬が行われ、女満別村に分村された翌年の1922年、村営による春秋2回の競馬が始まっている。 1927年に地方競馬規則が公布されると、その開催地を巡って野付牛町と女満別村が競合する形となった。議論の末、網走に近い女満別に決定し、女満別競馬場において1928年6月から北見畜産組合による地方競馬が開催されたが、同年には野付牛町でも上常呂(現在の北見市東陵町であり、現在の北見市上常呂とは別)の野付牛公設グランド(現在の東陵公園)において役馬能力品評会と称してばんえい競走が行われ、1929年にも野付牛町主催の祭典競馬が行われている。この競馬では優勝馬投票により景品券が発行されるなど地方競馬の類似行為を行っていたとされ、地方競馬に出走していた馬も参加していたという。 しかし女満別競馬場は網走・野付牛から遠方だったこともあり成績不振で、1932年秋には上常呂の野付牛競馬場に移転、野付牛では悲願となる地方競馬開催が始まったが、1939年に軍馬資源保護法が公布されたのに伴い廃止された。 戦後の1947年、北見市は荒廃していた競馬場を改修、北見競馬場と改め、北海道馬匹組合連合会の主催による地方競馬が復活した。間もなく1948年の新競馬法による道営競馬と北見市営競馬が行われ、1965年に道営が撤退。競馬場は1974年に北見市若松に移転したが、2007年に廃止された。 詳細は「北見競馬場」を参照
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