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ほくりょう ―りやう 【北涼】

中国五胡十六国の一。匈奴(きようど)沮渠蒙遜(そきよもうそん)後涼漢人段業擁立して甘粛(かんしゆく)建国(397-439)。のち段業殺し自立北魏(ほくぎ)に滅ぼされた。


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北涼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/07/15 19:33 UTC 版)

北涼(ほくりょう、397年 - 439年)は、五胡十六国時代甘粛省に存在した国。建国者は段業だが、実質的な創始者は盧水胡の沮渠蒙遜である。国号は涼。

沮渠蒙遜は、はじめ後涼に属していた。匈奴系であるとも月氏系であるとも諸説ある。397年後涼の建康太守・段業を建康公として擁立したが4年後に段業を弑殺して張掖郡で自立した。自立した後は南涼と結んで、後涼を滅ぼした。後涼滅亡後南涼に侵攻し、占領した武威郡の姑臧に遷都した。その後西涼を滅ぼした。[1]沮渠牧犍は文物を劉宋に送る[2]など文治をさかんにしたが、北魏の侵攻を受けて滅ぼされた。北涼の滅亡によって、五胡十六国時代は終わったとされる。

北涼滅亡後、北涼の王族・沮渠無諱酒泉で反乱を起こし、西遷して高昌で自立し(高昌北涼)[2]、河西王として劉宋に封ぜられた。沮渠氏が西遷するまで高昌を支配していた唐契の一族が結んでいた柔然が高昌に来寇すると、高昌北涼は2代で滅んだ。


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  1. ^ 京大東洋史辞典編纂会『新編東洋史辞典』東京創元社、1990年、p894
  2. ^ a b 尤明智『五涼史略』甘粛人民出版社、1988年、ISBN 7-226-00243-4


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