北方艦隊
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北方艦隊(ほっぽうかんたい、ロシア語:Северный флот スィェーヴィェルヌィイ・フロート、略称:СФ)は、ムルマンスクに司令部を置くロシア連邦海軍の艦隊の一つ。白海やバレンツ海など北極海の防衛を担うほか、大西洋へも進出する[1]。艦隊主力が駐留する軍港都市セヴェロモルスクは閉鎖都市となっている。
- ^ (解説)ロシア軍による地中海・北大西洋方面での大規模演習の実施『防衛白書』2008年版(防衛省)2021年5月12日閲覧
- ^ a b c "The birth of the soviet northern fleet 1937–42", p. 66
- ^ 急速に北極の防衛強化を進めるロシア あくまでも「既存の兵力の更新」を主張 WEDGE Infinity(2014年12月19日配信)2021年5月12日閲覧
- ^ a b 「露北方艦隊、軍管区に昇格 北極圏実効支配へNATO牽制」SankeiBiz(2021年1月15日配信)2021年5月12日閲覧
- ^ 深海部隊イズベスチヤ2018年4月10日
- ^ Большой десантный корабль "Петр Моргунов" передали ВМФ РоссииINTERFAX 2020年12月23日
北方艦隊
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「ソオブラジーテリヌイ (大型対潜艦)」の記事における「北方艦隊」の解説
ソオブラジーテリヌイは、1982年8月6日付けで赤旗受賞北方艦隊へ配置換えを受けた。1985年9月26日から30日にかけては、アイルランドのコークを訪問した。 1988年10月1日には戦列を離脱し、保管状態に入れられた。資金資産局への引渡しと解体・売却のため、1992年7月3日には退役となった。1992年10月23日には、海軍を除籍された。1994年にはインドの私企業へ売却され、解体された。
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北方艦隊
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「ザポリージャ (潜水艦)」の記事における「北方艦隊」の解説
1971年1月には艦隊間回航を実施し、ポリャールヌイ市のエカチェリーナ湾にあるポリャールヌイ基地(ロシア語版)へ回航された。その途上、ビスケー湾において乗員に対する外科手術が行われた。ポリャールヌイ基地に到着した B-435 は、赤旗勲章受章北方艦隊・第 4 潜水艦艦隊・第 96 潜水艦戦隊へ配備された。 1971年5月から同年12月28日まで、大西洋北東域において 210 日間の軍事任務に当たった。その間、10月31日から11月9日にかけてキューバ・ハバナ市を公式訪問した。しかし、ハバナ港においてソ連海軍の大型対潜艦「セヴァストーポリ」と接触事故を起こし、ソナー覆いに損傷を受けた。軍事任務の期間中、外国の潜水艦との遭遇は 5 回を記録した。水上で 18342 海里を航行し、水中を 5340 海里航行、潜水は 71 回行った。消費燃料は 825 t になった。 1972年6月27日から8月10日にかけて、ムルマンスク市ロースタ(ロシア語版)の第 35 船舶修理工場「セヴモルプーチ」において修理を受けた。その後、同じ基地の第 4 潜水艦艦隊・第 161 潜水艦戦隊へ配属替えを受けた。翌1973年5月3日までの期間、地中海へ派遣されて軍事任務に就いた。1975年10月10日から12月13日にかけても、軍事任務に就いた。 1977年1月3日から9月29日にかけて、今度は第 4 潜水艦艦隊・第 69 潜水艦戦隊に所属して地中海へ派遣され、軍事任務に就いた。その間、6月30日から7月4日にかけて、チュニジア・チュニス市を訪問した。1979年12月24日から1981年7月14日にかけて、クロンシュタットの国防省クロンシュタット海軍工場において工場修理を受けた。 1982年12月30日から1983年6月30日にかけて、地中海にて軍事任務に就いた。1984年2月20日から4月30日にかけては、大西洋北東域において軍事任務に就いた。1989年にも、二度にわたって軍事任務をこなした。
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北方艦隊
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「オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤ (軽巡洋艦)」の記事における「北方艦隊」の解説
オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤは、68-bis号計画型軽巡洋艦の11番艦として計画された。当初の艦名は、モロトフスク(ロシア語:Молотовскモーラタフスク)であった。これは、本艦の建造されたセヴェロドヴィンスクの当時の名称である。1952年7月15日にこの町の第402造船工場で起工、翌1953年9月25日にはソ連海軍に編入された。1954年5月25日には進水、12月18日に竣工、北方艦隊に配備された。 1956年8月3日から7日の間には、ノルウェーのオスロを訪問した。その後、8月8日から12日にかけてはスウェーデンのヨーテボリを訪問した。1957年に町の名前が改称されたのに伴い、巡洋艦モロトフスクも同年8月3日付けでオクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤと艦名を改められた。その後、同年8月30日から9月3日にかけてオスロを再訪問し、ヨーテボリへもまた1958年9月8日から12日にかけて再訪問した。
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北方艦隊
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「ヂク (潜水艦・2代)」の記事における「北方艦隊」の解説
1967年には、大西洋北東域において軍事任務に就いた。1968年には、地中海において軍事任務に就いた。1969年には、第 4 潜水艦艦隊・第96潜水艦戦隊へ配属替えを受けた。1970年には5月25日まで地中海で軍事任務に就いていたが、その間に無人航空機によって発見された。1971年12月10日から1972年6月24日にかけて、第 69 潜水艦戦隊に所属して地中海での軍事任務に就いた。1973年9月には、第 4 潜水艦艦隊・第 161 潜水艦戦隊へ配属替えを受けた。中東戦争のための兵力増強計画により、1973年9月15日から1974年10月8日のあいだ、第 69 潜水艦戦隊に所属して地中海へ派遣された。 1976年8月20日から1977年6月10日にかけて、クロンシュタットの国防省クロンシュタット海軍工場においてオーバーホールを受けた。1977年6月から1978年2月12日にかけて、地中海で軍事任務を遂行した。1978年5月31日からも、地中海に派遣されて軍事任務に就いた。1981年8月10日から1982年3月1日にかけてと1983年5月3日から12月29日にかけて、そして1985年4月1日から1986年2月28日にかけての期間もまた、地中海で軍事任務に就いた。 1986年には、国防省クロンシュタット海軍工場で修理を受けるためにクロンシュタットへ回航された。これに伴い、所属をレニングラード海軍基地・第 4 艦船練習師団・第 25 潜水艦戦隊・第 10 修理潜水艦隊へ移した。同年11月24日から1988年2月9日にかけて、国防相クロンシュタット海軍工場でオーバーホールを受けた。
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