勝田清孝事件とは? わかりやすく解説

勝田清孝事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 01:30 UTC 版)

勝田清孝事件(かつたきよたかじけん)は、1972年昭和47年)から1983年(昭和58年)の約10年間に勝田 清孝(かつた きよたか)が東海地方近畿地方で8人を相次いで殺害した連続殺人事件である。


注釈

  1. ^ a b 刑法第45条 - 「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする」。
  2. ^ 昭和40年代、高度経済成長の効果で民間企業の所得が上がり、また安定した終身雇用が定着したこの時期、公務員や公営企業(国鉄電電公社など)の賃上げが追いつかず、この当時公務員は一部の国家公務員を除き不人気職であった。そればかりか特別区職員ですら二次募集でも定員割れという状況で、ましてや勤務がきつく危険と隣り合わせとなる消防士警察官自衛官(特に陸上自衛隊)は慢性的に人手不足となり、多少の瑕疵に対しては不問とすることは珍しくなかった。一般公務員が人気職となるのは、民間の実質賃金が急減するバブル崩壊以降である。
  3. ^ 同種の事例に大阪連続バラバラ殺人事件(警察庁広域重要指定122号事件)がある。
  4. ^ 2007年に近隣2町と合併し木津川市となっている。
  5. ^ 近代法制整備後、戦争行為を除いた単独犯による大量殺人事件としては、当時は津山事件の30人が最大だった。現在は2019年に発生した京都アニメーション放火殺人事件の36人となっている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 中日新聞』1983年1月31日夕刊一面1頁「短銃強奪犯を逮捕 京都生まれ無職男 昭和区 白昼、勧銀支店襲う 二発発射、行員ら取り押さえ」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『中日新聞』1986年3月24日夕刊一面1頁「連続殺人・勝田に死刑 名地裁判決 『悪質残虐な犯行、自らの命で償いを』」
  3. ^ a b c d e 『中日新聞』2000年11月30日夕刊一面1頁「勝田死刑囚ら3人刑執行 岐阜の3人刺殺元店員も」
  4. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 (2017, p. 185)
  5. ^ a b c 『中日新聞』1983年8月3日朝刊第12版第二社会面20頁「追跡・勝田事件 第三部 1 突然変異 祝福され生まれて…」
  6. ^ 鮎川潤 1993, p. 2.
  7. ^ a b 『20世紀名言集大犯罪者篇』p136犯罪心理研究所、情報センター出版局、 2001
  8. ^ a b 『中日新聞』1972年9月13日夕刊E版第一社会面第11頁「京都でホステス絞殺される」
  9. ^ a b c d 『中日新聞』1983年8月18日朝刊第12版第二社会面22頁「追跡・勝田事件 第三部 13 密室殺人 その合間テレビ出演」
  10. ^ 鉄人社編集部『悪い奴ら、最期の言葉--断末魔の叫び100選』鉄人社、2015年8月7日、39頁。ISBN 978-4904676332 
  11. ^ 『中日新聞』1983年4月1日朝刊第12版第一社会面23頁「勝田、クイズで賞金稼ぎ 殺しの合間にテレビ出演」
  12. ^ 鮎川潤 1993, p. 3.
  13. ^ a b c d e 『中日新聞』1983年2月12日夕刊E版第一社会面11頁「勝田 『短銃強奪』で再逮捕」
  14. ^ a b 『中日新聞』1980年2月16日朝刊第12版第一社会面23頁「瑞穂 路上で猟銃?強盗 信金職員の小切手奪う」
  15. ^ a b c d e 『中日新聞』1986年3月24日夕刊第二社会面8頁「凶悪の傷跡今も 関係者の声 命の尊さ知れ ひとつの区切りついた」
  16. ^ a b c 『中日新聞』1983年8月22日朝刊第12版第二社会面20頁「追跡・勝田事件 第三部 17 パンク 狙う女性の車に“細工”」
  17. ^ 『中日新聞』1983年8月24日朝刊第12版第二社会面18頁「追跡・勝田事件 第三部 18 懲戒免 『辞令』に涙、震える手」
  18. ^ a b c d 『中日新聞』1986年3月24日夕刊第二社会面8頁「勝田事件の軌跡」
  19. ^ a b 名古屋地裁・後半事件(1986)
  20. ^ a b c 『中日新聞』1983年5月12日朝刊第12版第二社会面22頁「京都の店員襲撃などで勝田を追起訴」
  21. ^ a b c d e f g 『中日新聞』1982年10月28日朝刊第12版1頁「日泰寺東 警官、短銃奪われる 夜の路上、襲われ重傷 不審な男、電話でおびき出す」
  22. ^ a b c d e 『毎日新聞』1983年2月1日東京朝刊第14版1頁「警察庁指定『113号』事件で名古屋で短銃強奪男を逮捕」
  23. ^ a b 『中日新聞』1983年2月11日朝刊第12版1頁「短銃強奪 まず第一勧銀事件で勝田を起訴 きょう再逮捕」
  24. ^ 『日本経済新聞』1983年2月11日東京朝刊第一社会面23面
  25. ^ a b 『中日新聞』1984年4月26日朝刊E版第二社会面10頁「勝田 拘置所に移監 留置452日、読書100冊 捜査終える」
  26. ^ 鮎川潤 1993, pp. 13–14.
  27. ^ 鮎川潤 1993, p. 11.
  28. ^ 鮎川潤 1993, pp. 10–11.
  29. ^ 佐久間哲、『死刑に処す-現代死刑囚ファイル-』、自由国民社
  30. ^ a b c d 『中日新聞』1983年5月27日夕刊一面1頁「勝田、起訴事実ほぼ認める 短銃強奪殺傷事件で初公判 名地裁 『養老』は殺意否認 弁護人、“心神耗弱”を主張」
  31. ^ a b 『毎日新聞』1983年10月24日東京朝刊第14版第一社会面23頁「勝田清孝連続殺人事件:元消防士・勝田被告の殺害は18人に? 新たに『女性10人』と供述 高校時代から」
  32. ^ a b 日本経済新聞』1983年10月27日名古屋朝刊第一社会面21頁「短銃強奪の勝田事件から1年、広域捜査に教訓--“常識外の操作”どう克服」
  33. ^ a b 『中日新聞』1985年11月27日朝刊一面1頁「勝田に死刑求刑 名地裁 残忍な連続殺人 検察、矯正不可能と断罪 判決は来春」
  34. ^ a b c 『中日新聞』1985年12月17日朝刊第一社会面19頁「勝田“ざんげの手記”提出 連続殺人公判、結審 名地裁・判決は3月24日」
  35. ^ a b c d e f g h i j 『中日新聞』1986年3月28日夕刊第一社会面11頁「『死刑は重い』 勝田控訴」
  36. ^ a b c d e f g h 『中日新聞』1987年3月30日夕刊E版第一社会頁「名高裁 勝田の控訴審初公判 『無期に減刑を』 弁護側が死刑違憲論」
  37. ^ a b c d e 『中日新聞』1988年2月14日朝刊3頁「核心/ 『死刑』是か非か 『生きて償いを…』勝田事件の法廷からみた廃止論争」(社会部記者:臼田信行)
  38. ^ 『中日新聞』1987年7月1日朝刊第二社会面26頁「控訴審裁判官 忌避申し立て 8人殺し勝田の弁護人」
  39. ^ 『中日新聞』1987年7月9日朝刊第12版第二社会面26頁「勝田事件で名高裁 裁判官忌避を却下」
  40. ^ a b c d e 『中日新聞』1987年9月10日朝刊第二社会面22頁「作家や元刑務官を証人に申請 勝田弁護団」
  41. ^ a b 『中日新聞』1987年12月8日朝刊第二社会面22頁「勝田弁護人辞任認めず」
  42. ^ a b 『中日新聞』1988年1月13日朝刊第二社会面20頁「勝田清孝の控訴審結審 来月19日に判決」
  43. ^ a b c 『中日新聞』1988年2月19日夕刊一面1頁「勝田、二審も死刑判決 『違憲論』退ける 8人殺害、極刑やむを得ぬ 名古屋高裁」
  44. ^ a b 『中日新聞』1988年3月2日夕刊第一社会面9頁「名古屋などで連続殺人の勝田被告が上告」
  45. ^ 『中日新聞』1993年5月27日朝刊第二社会面30頁「勝田被告の上告審 11月4日に口頭弁論」
  46. ^ a b c d e f 『中日新聞』1993年11月5日朝刊第二社会面30頁「連続殺人 『勝田事件』上告審が結審 死刑めぐり最終攻防 判決は来春」
  47. ^ 『中日新聞』1993年11月27日朝刊第二社会面28頁「来月16日上告審判決 8人殺害・勝田被告」
  48. ^ 『中日新聞』1993年12月7日朝刊第二社会面22頁「勝田被告の判決 1月17日に延期 最高裁」
  49. ^ a b 『中日新聞』1994年1月18日朝刊一面1頁「連続殺人事件 勝田被告の死刑確定 最高裁が上告棄却 『罪責は重大』」
  50. ^ a b 『中日新聞』1994年1月18日朝刊第二社会面22頁「『死刑存続時代遅れ』 弁護団会見 『予想はしていたが…』」
  51. ^ a b c 来栖宥子 (1996, p. 302)
  52. ^ 来栖宥子 (1996, p. 314)
  53. ^ 『読売新聞』1994年2月6日東京朝刊第二社会面26頁「男女8人殺害 勝田被告の死刑確定」
  54. ^ 『中日新聞』1994年10月4日朝刊第二社会面26頁「勝田死刑囚の助命嘆願」
  55. ^ a b c d e 『中日新聞』2000年12月2日朝刊第一社会面35頁「執行間際『ごめんなさい』 勝田元死刑囚 被害者の名前挙げつぶやく」(社会部記者:牧真一郎)
  56. ^ a b 『中日新聞』2000年12月2日夕刊第一社会面11頁「勝田元死刑囚だびに」






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