勘仲記〈自筆本/〉
主名称: | 勘仲記〈自筆本/〉 |
指定番号: | 126 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 83巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 『勘仲記』は、鎌倉時代の公卿、権中納言勘解由小路【かでのこうじ】兼仲(一二四四-一三〇八)の日記で、『兼仲卿記』とも呼ばれている。兼仲は、『民経記』の記主経光の次男にあたり、治部少輔、蔵人、左右の弁官等を経て、永仁元年(一二九三)権中納言となったが、その間に摂関家の執事も勤めた。なお、兼仲の子孫は後に広橋と称している。 この兼仲自筆本八十三巻は、もとは広橋家に伝来したもので、所収記事は兼仲三一歳の文永十一年(一二七四)より途中断絶しながら五七歳の正安二年(一三〇〇)までの二七年間を存し、暦記五巻と、文書を翻した料紙に書かれた七八巻からなる。 体裁は各巻とも巻子装で、日次記の料紙は文書を翻し、天地に横墨罫を施して用い、暦記は空行一行の具注暦を用いており、各巻末に子孫の光業、兼秀が奥書を記すものもある。 各巻の内容は、兼仲の経歴を反映して、当時の政務上の事件に関わる記事が多いが、たとえば文永、弘安の二度の元寇に関する記事や、朝廷と幕府との関係を示す記事など注目すべき記述もみられる。また、このうち弘安七年と永仁二年については、日次記と暦記が併存しており、暦記に記事を貼り継いだ部分もあって、当時の日記作成のあり方の一端を示して注目される。 さらに暦記を除く各巻の紙背文書は一二〇〇通余に及ぶ。その内容は多岐にわたるが、摂関家の所領や、蔵人所の供御人に関する書状、申状等が多く、日記本文とあいまって、鎌倉時代後期の政治、経済史研究上の貴重な史料となっている。 |
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