別府港
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別府港(べっぷこう)は、大分県別府市にある、別府湾に面した港湾。港湾管理者は大分県。重要港湾に指定されている。また、大分県によって拠点港(防災拠点港)に指定されている[1]。
注釈
出典
- ^ “南海トラフ地震に対応した四国の広域的な海上輸送の継続計画”. 国土交通省. 2023年11月10日閲覧。
- ^ 別府港港湾計画図 (PDF) 大分県
- ^ 別府港 石垣地区 旅客対応ターミナル整備事業 (PDF) 国土交通省 九州地方整備局、2008年10月8日
- ^ 別府港の再編整備検討 県、基本構想を策定へ 大分合同新聞、2016年3月8日
- ^ 中外商業新報(1924年9月25日)『大阪商船の新造船紅丸を別府へ廿三日から』 。
- ^ a b 別府港 大分県
- ^ a b c d 別府歴史年表 5 昭和時代 別府歴史資料デジタルアーカイブ
- ^ a b ついに姿現した巨大LNGフェリー「さんふらわあ」 別府の新ターミナルも現代的だった! - 乗りものニュース 2022年12月15日
- ^ 別府港 - 国土交通省九州地方整備局 別府港湾・空港整備事務所
- ^ 別府温泉御遊覧の志おり「日本第一の温泉別府亀の井ホテル御案内」
- ^ 過去大会の概要 第63回(国民体育大会) - 日本体育協会(2010年10月13日閲覧)
- ^ 別府港北浜ヨットハーバーの供用開始について - 大分県(2010年10月6日閲覧)
別府港
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「別府町 (加古川市)」の記事における「別府港」の解説
別府港は、かつて阿閇津と称し、景行天皇の時代(313年[要出典])に開発され、天正年間(1573〜1592年)には戦略上の要港として、その後、港内の改修等により播磨地域産出の物品の移出が増大し、明治維新頃まで近隣の港をしのいできた。多木製肥所(現 多木化学)の創業と事業拡大に伴い、1875年(明治8年)から港内の浚渫、突堤の修築が行われ、1896年(明治29年)には県費補助指定港となり、改修作業が一層進行した。さらに大正期に入り、加古川製紙の生産能力増大や各種産業の振興などにより、1924年(大正13年)第一期修築工事が行われ、以降数回にわたって継続された。1963年(昭和38年)7月に播磨沿岸地域が工業特別地域の指定を受けたのを契機として、同年11月に、伊保港・曽根港・高砂港・二見港・別府港が東播磨港として統合され、播磨工業地帯東部地域の中核をなす港湾として1964年(昭和39年)2月重要港湾に指定された。
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