出羽錦【デワニシキ】(果樹)
登録番号 | 第14314号 | |
登録年月日 | 2006年 7月 13日 | |
農林水産植物の種類 | おうとう | |
登録品種の名称及びその読み | 出羽錦 よみ:デワニシキ | |
品種登録の有効期限 | 30 年 | |
育成者権の消滅日 | ||
品種登録者の名称 | 今田興一郎 | |
品種登録者の住所 | 山形県西村山郡河北町大字田井131番地 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 今田興一郎 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は、「今田錦」の自然交雑実生から育成されたものであり、果形が心臓、大きさがやや大、果皮色が帯赤黄斑の育成地(山形県西村山郡河北町)では7月上旬に成熟する甘果おうとうである。樹姿は中間、樹の大きさは中、樹勢は強である。枝梢の太さは中、節間長は短、色は赤褐、皮目の形は円、大きさはやや小、密度はやや少、芽の形は鈍である。葉形は短楕円、大きさは中、色は緑、蜜腺の形は球腎である。花弁の形は楕円、色は白、雌ずいの数は1、健否は健、花粉の多少は有、がくの色は緑である。果梗の長さはやや長、果実の外観は心臓、果頂部の形は凸、凹は無、梗あの深さは深、広さは中、果実の大きさはやや大、果皮の色は帯赤黄斑である。切った直後の果肉色は乳白、果肉内及び核周囲の着色は無、果肉の硬さは中、果汁の多少はやや多、甘味及び酸味は中、渋味及び苦味は無、香気は微である。核と果肉の粘離は半粘、核の形は短楕円、大きさはやや大、色は淡褐である。成熟期は満開から55日以上で育成地においては7月上旬、結果性は多、生理落果の多少及び裂果性は中である。「佐藤錦」と比較して、果梗が長いこと、果実の外観が心臓であること等で、「紅秀峰」と比較して、果実の外観が心臓であること、核の形が短楕円であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は、昭和62年に育成者のほ場(山形県西村山郡河北町)において、「今田錦」の自然交雑実生の中から選抜、以後、増殖を行いながら特性の調査を継続し、平成15年にその特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
出羽錦忠雄
(出羽錦 から転送)
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出羽錦 忠雄(でわにしき ただお、1925年7月15日 - 2005年1月1日)は、東京府南葛飾郡(現:東京都墨田区)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は奈良崎 忠雄(ならざき ただお)(旧姓:小倉)。最高位は東関脇。
- ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p26
- ^ 初っ切りについて自著では「昔は真剣にやっていたが現在は漫才のようだ」と引退前後の時期における初っ切りの傾向を見て批判していた(自著の初版は1965年3月1日)。
- ^ “元出羽錦の奈良崎氏死去/すい臓がん、79歳”. 四国新聞社 (2005年1月2日). 2020年7月15日閲覧。
- ^ 1962年7月場所から1963年5月場所。出羽錦は1962年7月と1963年3月に大鵬から金星を挙げた(いずれの場所も大鵬は出羽錦戦の1敗のみで優勝)。なお、この間に大鵬に2勝した力士は出羽錦のみである。
- ^ 左腰部及び左膝関節捻挫により13日目から途中休場
- ^ 胸部打撲により12日目から途中休場
- ^ 右足親指関節捻挫により4日目から途中休場、9日目から再出場
- ^ 右足親指関節捻挫により5日目から途中休場、10日目から再出場
- ^ 右足甲関節捻挫により初日から休場、4日目から出場
- ^ 左足親指基関節捻挫により10日目から途中休場
- ^ 左足親指腱鞘炎により5日目から途中休場、11日目から再出場
- 1 出羽錦忠雄とは
- 2 出羽錦忠雄の概要
- 3 主な成績
- 4 出演作品
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