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兼松正吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/08 07:42 UTC 版)
兼松 正吉(かねまつ まさよし、天文11年(1542年) - 寛永3年9月5日(1627年10月13日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将。兼松清秀の子で、尾張国葉栗郡島村(現在の愛知県一宮市島村)に生まれる。「金松」との表記は誤記。[1] 千熊、又四郎、修理亮。
- ^ 伝統ある誤記 『尾張藩兼松家史話探訪』兼松豊 p.6 「代々の文書発給者は「金松」と表記してるが正しくは「兼松」である。今に始まったことではなく何百年前からあったことで伝統的なものである。将来とも「金松」と誤記されても伝統的なものであるから、腹を立てずに訂正をお願いするように。」としている。
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