八木商店とは? わかりやすく解説

ヤギ (企業)

(八木商店 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/02 09:37 UTC 版)

株式会社ヤギは、大阪府大阪市中央区に本社を置く老舗の繊維専門商社である。




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八木商店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 02:59 UTC 版)

ヤギ (企業)」の記事における「八木商店」の解説

前身の八木商店(やぎしょうてん)は、「関西五綿・船場八社」(関西綿=丸紅・伊藤忠商事日綿実業東洋綿花・江商、船場八社=又一・岩田商事丸栄・田附・竹村綿業・竹中豊島八木)といわれた中の「八社」の1つで、第二次大戦後における商社大型化や、アメリカ海外資産没収等の激し流れのなかで、八社のうち唯一生き残った繊維商社であった。 八木商店の創業者であった八木与三郎(1865年1月生まれ)は、家業京都米穀商で、父重助京都米穀取引所務めていた。与三郎は、明治15年大阪出て重助実弟藤本清兵衛米穀問屋丁稚奉公出た。のちに藤本家から融資受けて大阪唐物町堺筋東側綿糸商八木商店を開業したのは明治26年であった。 八木商店では、泉州紡績摂津紡績大阪紡績などの国産綿糸主として取り扱い輸入綿糸にはそれ程力を入れてはいなかった。神戸外国商館であるシモインバー、アーレンス、ブラウン商会などからイギリス本国ボンベイ綿糸輸入した。それは神戸先物約定期日銀貨代金支払って現物引き取る見込み商内であった。 八木商店は開業3年後明治29年店舗拡張して大阪久太郎町移転し同年には輸出部を開設した。さらに、38年下村紡績所の経営引き受け、これを45年浪速紡績社名改称与三郎が社長に就任したその間41年に八木商店は綿布部を兼営した。 八木商店の経営発展考え場合見逃せないのは与三郎の娘婿で、のちの八木商店社長となった杉道助企業活動である。祖父民治は、吉田松陰実兄にあたり松陰血を引くには国士的な風格感じられといわれる明治42年慶應義塾卒業後、久原房之助久原鉱業所入り、その翌年武藤山治夫妻媒酌で、与三郎の長女義と結婚したそれ以降は八木商店の経営との関わりを持つようになり、大正6年には同店取締役昭和18年社長に就任した

※この「八木商店」の解説は、「ヤギ (企業)」の解説の一部です。
「八木商店」を含む「ヤギ (企業)」の記事については、「ヤギ (企業)」の概要を参照ください。

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