D1 GRAND PRIX
(全日本プロドリフト選手権 から転送)
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D1 GRAND PRIX(ディーワングランプリ)は、ドリフト走行の技術を競うモータースポーツの選手権である。通称は「D1グランプリ」「D1GP」。
注釈
- ^ いずれも自動車雑誌が主催。STCCはヤングバージョン誌、ドリコンGPはCARBOY誌、いか天はOPTION誌
- ^ D1グランプリにおいては、大手チューニングパーツメーカーなどの直系チームを「ワークス」と呼称することが多い
- ^ 熊久保信重が2005年に投入。2006年、4ドアの車両を駆る選手として初のチャンピオンに輝いた
- ^ ヴァリノも本社は日本国内であるが、タイヤの生産国は中国である
- ^ 太文字は2023年シーズンのオフィシャルスポンサーとなっているタイヤメーカー。それ以外はオフィシャルスポンサーではないが使用可能なメーカー。
- ^ 情報は2023年D1GPシリーズ登録申請タイヤ一覧[1]を参照。2023年4月12日時点での情報を記述する。
- ^ R31ハウスこと柴田自動車株式会社のオリジナルタイヤ。生産自体は中国のレイダンタイヤで行われているため一部サイズ・銘柄はシバタイヤのロゴを使用しているがレイダンとトレッドパターンが同じである。
- ^ 2011年はオフィシャルスポンサーから離脱していたが、ヨコハマタイヤを使用する選手は存在した
- ^ 斎藤太吾が2017年より導入したC6型コルベットが履いていたワンリSR390 315/35ZR20がこれに該当する。
- ^ ただし、決勝まで進出した場合は決勝タイヤとしてもう1セット使用できる。
- ^ 実際にパイプフレームを採用した事例として、HKSが製作した2005年のHKSハイパーゲンキレーシングIS220-Rと2017年のHKS Racing Performance 86 RS-3がある。前車は2000年に作成した筑波TA用アルテッツァの応用によりABCピラーとライト以外完全パイプフレーム化を決行。後者の場合はレギュレーションという制約から外れた究極のドリ車を作るというHKSのデモカー企画で作成されたため、シーズン導入は行われなかった。以降はエキシビジョンラウンドやD1関連イベント等大会レギュレーションの制約がない場所でD1ゼッケン・ハチマキ・フロントバナーを付けてD1マシンとして走行している。いずれの場合もゼッケンはNo.87で固定されている。
- ^ 実際レギュレーションの範囲内であればなんでもありという解釈が広まり、加工の有無が定められていない箇所をパイプフレーム化する者もいた。これに限ったことではないが、特にボディワークについては選手・チーム側と運営側にて解釈違いの衝突も多く、一例として2016年、斎藤太吾が第1・2戦で使用していたトヨタ・マークIIが第3戦以降シーズン参戦できなくなるという事態が発生した。
- ^ 2本目はキャンセルすることが可能。追走に向けてタイヤを温存したい場合などにキャンセルされることが多い。
- ^ 現行車両が登場しない状況を鑑み、「現行販売車種に限り、予選を免除する」というレギュレーションが2008年から数年間存在した
- ^ かつては3本走行可能であった
- ^ 山路審判員が参加せず、3名の大会も存在する。
- ^ 追走以降は神本審判員が副審査員となり、直接的には採点に関わらない大会も存在する。
- ^ 例えば、斎藤太吾はカーショップのFAT FIVE RACINGを経営している。また、末永正雄は南日本新聞に勤務している。
- ^ シリーズ創設当初から審査員としてD1グランプリに携わっており、自動車雑誌「CARBOY」主催のドリフトコンテストでチャンピオンになった経験もある
- ^ 峠の走り屋出身であることからドリフトに造詣が深く、過去にドリコンのいかす走り屋チーム天国で全国大会3位の成績を収めたこともある
- ^ 2019年〜2021年は白の面積が圧倒的に多く、写真等で一見すると白一色にしか見えない。
出典
- ^ a b What's D1 Grand Prix D1 OFFICIAL WEBSITE、2021年10月1日閲覧
- ^ DOSSってなんだ? 日本が誇るドリフト機械審査システムを詳しく解説【D1GP】 clicccar2019年8月1日
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- ^ 稲田大二郎/土屋圭市両氏のD1コーポレーション辞任について[リンク切れ]
- ^ ご報告!! - 土屋圭市オフィシャルサイト - K1 PLANNING[リンク切れ]
- ^ ドリキン土屋圭市の新勢力「ドリフトマッスル」が見えた! cilcccar、2011年4月1日
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- ^ 「D1GP過渡期を代表する滑走戦闘機」4G63を縦置きマウントした衝撃のFRランエボ! web option、2020年3月13日
- ^ 【新作】新型スープラドリフト&D1マシン製作記 - YouTube 2019年3月11日
- ^ 「最先端ドリフト仕様の今」これでキミも今日からD1グランプリ博士だ! web option、2020年5月23日
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- ^ ドリキン土屋圭市が立ち上げた「ドリフトキングダム」が9年の歴史の幕を下ろす Auto Messe Web、2019年12月28日
- ^ D1規則 D1 OFFICIAL WEBSITE、2023年4月13日閲覧
- ^ 2019年のD1GP、注目は復活した悪童と新鋭女子選手!?【D1GP ALL STAR SHOOT-OUT】 clicccar、2019年3月31日閲覧
- ^ D1車両規定
- ^ リヤラジエターの流行とOSAKA DRIFTでのクラッシュ続出には関係があった!?【D1GP】 clicccar、2018年4月9日
- ^ 「最先端ドリフト仕様の今」これでキミも今日からD1グランプリ博士だ! web option、2020年5月23日
- ^ Sタイヤがついに解禁!? D1GPのタイヤ戦争が激化したワケは…【TOKYO DRIFT】 clicccar、2016年10月28日
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- ^ 『モータースポーツパラダイス』(フジテレビ739)に土屋圭市が出演した際に発言
- ^ 2011 GRAN TURISMO D1グランプリシリーズ審査員決定!!(2011年1月27日)
- ^ 『車輪倶楽部(J SPORTS)2012年1月放送分
- ^ Scoring Method – 採点方法 – D1 OFFICIAL WEBSITE、2021年11月19日閲覧
- ^ D1GP RD.1 富士 詳細レポート D1 OFFICIAL WEBSITE、2022年4月23日
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- ^ 蕎麦切広大選手が無双状態の筑波連戦、植尾勝浩選手は最年長優勝記録を更新! JAFモータースポーツ、2023年7月3日
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- ^ V OPT 185 ⑦ 2009 D1GP Rd.3 in OKAYAMA TSUISO FINAL VIDEO OPTION、2018年1月16日
- ^ D1グランプリ第3戦 4月23日(土)・24日(日) オートポリス(大分県) ダンロップモータースポーツ、2021年11月20日閲覧
- ^ ファルケンのハイグリップスポーツタイヤ装着車両がD1 GP開幕戦で総合優勝 Response、2014年4月8日
- ^ a b 【リニューアル】 D1GP 2023 シリーズ 生配信 は ビデオオプション がお届け! VIDEO OPTION、2023年5月1日
全日本プロドリフト選手権
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「今村陽一」の記事における「全日本プロドリフト選手権」の解説
2001年 - プライベートで乗っているAE86型スプリンタートレノで参戦していた。第1戦にて優勝し、その後も上位入賞を続けた。最終戦日光では、ライバルの谷口信輝に勝てばシリーズチャンピオンを得るところまで詰め寄ったが、ドライ用Sタイヤ4輪装着という作戦に出た谷口のスピードに敗れ、シリーズ2位となった。 2002年 - アペックスのワークスドライバーとなり、アルテッツァで参戦した。主にミッションに問題を抱え、一度もポイントを取る事ができなかったためアルテッツァの使用を止め、シーズン途中からRX-7(FD3S)を投入した。その後、第4戦と最終戦の2勝を挙げてシード権を獲得し、シリーズランキングは5位で終えた。 2003年 - 引き続きアペックスのRX-7をドライブし、シリーズ7戦中6回のポイント獲得、5回の表彰台、そして史上初の2連勝を達成し、自身初のシリーズチャンピオンを獲得した。 2004年 - お台場エキシビジョンと第4戦オートポリスでのクラッシュや、マシンの老朽化もあり、シリーズ中盤までは満足のいく成績を残す事ができなかった。しかし、第5戦のお台場でニューマシンを投入し、優勝こそならなかったものの2位の結果を得た。翌日のオールスターバトルで優勝を果たしたところから、第6戦エビス、最終戦筑波と3連勝を果たした。12月の日米対決で4連勝の期待が掛かるものの、2位となった。シリーズランキングは3位で終えた。 2005年 - 第1戦ではコントロールミスにより風間靖幸に敗退、第2戦では追走1回戦にて織戸学に敗退した。それ以降も第4戦ではアームが折れてリタイヤするなどの低迷はあったが、最終戦で優勝を得てシリーズランキング3位となった。 2006年 - アペックスのD1撤退に伴い、トップシークレット製作のORC・Z33でD1に参戦し、シリーズ15位となった。 2007年 - Z33の2号機をトップシークレットが製作。昨シーズンまでのRB26DETT搭載&ワイドボディのマシンから、VQ35ベースに過給機をつけたスレンダーボディに変更した。第1戦エビスでは予選落ちを喫したもののその後の成績が向上し、結果的にシリーズランキング6位で終了した。 2008年 - トップシークレットのD1参戦休止に伴い、昔から縁のあるオートプロデュースBOSSが製作したS15で参戦した。開幕戦から追走に進出してシード入りを果たすと、以降は斎藤太吾や野村謙、手塚強らとチャンピオン争いを演じた。最終的には最終戦で実現した斉藤との直接対決に敗れてシリーズチャンピオンを逃がしたものの、移籍1年目でシリーズランキング2位という好成績を残した。 2009年 - 前年に引き続きオートプロデュースBOSSのS15で参戦した。この年も開幕戦から追走に進出する活躍を見せた。開幕戦こそ決勝でマシントラブルにより野村謙に次いで準優勝に終わったものの、第2戦の決勝で再び野村と対決し優勝を果たした。以降は必ずベスト8以内に入りながらコンスタントにポイントを積み重ね、最終戦でベスト8に進出した時点でD1史上初となる2回目のシリーズチャンピオンを獲得した。 2010年 - ブリヂストンのD1撤退に伴い、タイヤはダンロップへ変更となった。この年は開幕戦のお台場で優勝し、以降もベスト8以上に入り続け、第6戦のエビスで優勝した時点で最終戦を待たずにD1史上初の自身3度目のシリーズチャンピオンとなり、また初のシリーズ連覇を達成した。 2011年 - 東日本大震災の影響により、開幕戦の予定であったお台場が6月に延期となり、第3戦オートポリスからシーズンがスタートした。この大会では単走でスピンを喫し20位に終わり、追走はベスト8まで行ったところで雨によりD1初の中止となったため、単走のみの結果で20位に終わった。しかし続く第4戦鈴鹿では準優勝、第1戦お台場では単走1位、追走は2位を獲得した。第7戦エビスでは、決勝でピットウォールにクラッシュし準優勝に終わったが、最終戦富士スピードウェイでは優勝を果たし、D1史上初の自身4度目・3年連続のシリーズチャンピオンとなった。 2012年 - 4年間在籍したチームBOSSを離れ日栄レーシングプロジェクトに移籍する。マシンは同じくS15シルビアで参戦。タイヤはメーカーの意向でダンロップからファルケンにチェンジする。2013年も同様の体制で参戦した。 2014年は大阪トヨペットが母体となるOTGモータースポーツへと移籍し、マシンをトヨタ・86へとチェンジしている。この車両は元々海外のチームが北米仕様のサイオン・FR-Sをベースにフォーミュラ・ドリフト参戦用に製作途中だったものを買い取ったもので、日本到着後に左ハンドルから右ハンドルへと変更されている。エンジンは今村の希望からTRDがNASCARへ供給している5.8LV8エンジンを搭載しており、このマシンを駆りシリーズ7位を獲得した。 2015年は同じくOTGモータースポーツから86で参戦。本来はシーズン中盤からマシンをレクサスLFAへ変更し参戦する予定であり、この年のお台場エキシビションにて投入され、後のD1 WORLD CHAMPIONSにて斎藤太吾のムルシエラゴとの追走が実現。以降もエキシビションで走行したが、修理代が高額であるため結局実戦投入はされなかった。 2016年はタイヤをダンロップに変更。エンジンもトヨタ製のV型6気筒(1GR-FE)ツインターボになった。 2019年からMMMレーシングのフェラーリ F550マラネロ(VR38DETT搭載)にて戦う。開幕戦の筑波サーキットはあいにくの雨で、開発が進んでいない新型マシンであったこともあり1コーナーでクラッシュを喫した。 2020年以降はD1に参戦していないが、サーキットでの走行会などのイベントに主催者として携わっている。
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