全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
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全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(ぜんにっぽんスポーツプロトタイプカーたいきゅうせんしゅけん、または、ぜんにほんスポーツプロトタイプカーたいきゅうせんしゅけん)は、1983年から1992年まで日本自動車連盟の主催により実施されていたスポーツプロトタイプカー耐久レースの年間シリーズ戦である。JSPCの略称も公式に用いられる。1986年までは全日本耐久選手権の名称で行われていた。
- ^ 排気量無制限の代わりに、使用燃料総量を制限したスポーツカー。実質的に二座席レーシングカーの後継。
- ^ 他に富士スピードウェイで行われた3戦(500km、500マイル、1,000km)は、別に富士ロングディスタンスシリーズとして開催され、全日本戦には含まれなかった。
- ^ R30型スカイラインのシルエットフォーミュラーをベースにしたFRのグループCカー。
- ^ 筑波ラウンドにはC1マシンは参加しなかった。
- ^ FIAおよびJAFの査察を受け、開催基準を満たすためにコース改修作業を行ったが、最終確認時に開催基準を満たすことができず、開催1週間前に断念した。
- ^ SWCでは、旧グループC車両に重量ハンデとピットストップハンデが課せられた。
- 1 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権とは
- 2 全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権の概要
- 3 概要
- 4 通算勝利数ランキング
- 5 関連項目
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
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「ルマン (企業)」の記事における「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権」の解説
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権には、株式会社ユーピー(パナスポーツブランド)をスポンサーとして、1984年に自製のLM04Cで参戦を開始した。1985年シーズン途中にLM05Cに車両を変更し、WEC-JAPANでは2位入賞を果たした。1986年シーズンには日産からV6のVG30エンジンが供給されるが、LMシャシーではパワーを受け止めることができず、マーチ製の86Gにマシンを変更した。LMシャシーにはトヨタエンジンが供給され、日産、トヨタエンジンでの2カーエントリーとなる。2台体制は翌87年も続き、WEC-JAPANでは和田孝夫に手によりポールポジションを獲得した。日産のCカーによる参戦は1991年まで続いた。1993年の鈴鹿1000kmではニスモとジョイントで日産・R92CPで優勝を果たした。
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全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
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「アンディ・ウォレス (レーサー)」の記事における「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権」の解説
年チーム使用車両クラス1234567順位ポイント1991年トヨタ・チーム・トムストヨタ・91C-VC1FSW FSW3 FSW SUZ4 SUG FSWRet SUG5 12位22太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
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