光
『出エジプト記』第34章 モーセ(モーゼ)はシナイ山に登って主(しゅ)と語り合い、十戒を記した2枚の石板を持って降りて来た。モーセの顔の肌は光を放っていたので、イスラエルの人々は恐れて近づかなかった。モーセは、主が語られたことを人々に命じた後、自分の顔に覆(おお)いを掛けた。
『日本書紀』巻20敏達天皇12年是歳 百済の高官日羅(にちら)は親日派だったので、徳爾(とくに)・余奴(よぬ)たち暗殺者が、日羅を殺そうとつけねらった。しかし日羅は身体から火焔(ほのほ)のような光を放ったため、徳爾らは恐れ、殺すことができなかった。12月の晦(つごもり)に光を失ったのを見て、ようやく殺した。
『マルコによる福音書』第9章 イエスが、弟子のうちペテロ・ヤコブ・ヨハネの3人だけを連れて、高い山に登る。彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その衣は真っ白に輝く。預言者エリヤとモーセ(モーゼ)が現れ、イエスと語り合う〔*やがて雲が彼らを覆い、エリヤとモーセは姿を消した〕。
★1b.口から光が出る。
『イスラーム神秘主義聖者列伝』「アブル・ホセイン・ヌーリー」 ヌーリーは「光の人」という意味である。聖者ヌーリーがそう呼ばれたのは、暗い夜、彼が言葉を発するたびに、口から光が放出され、家中を明るくしたからだ、と伝えられる。
『日本霊異記』上-14 夜半、百済僧義覚の部屋に光が輝くのを1人の僧が怪しみ、窓の紙に穴をあけてのぞく。義覚は端座して般若心経を唱えており、光はその口から出ていた。
*脇腹の穴から光→〔穴〕6の『捜神後記』巻2-7(通巻18話)。
髪長姫の伝説 紀州、九海士(くあま)の浦の海底から光がさし、不漁が続く。光の正体をつきとめようと、海女の「渚(なぎさ)」が海中へ飛びこみ、黄金に輝く1寸8分(ぶ)の観音像を得た。「渚」には娘が1人いたが、生まれつき頭髪がなかったので、「渚」は観音像に祈る。すると娘の頭に美しい黒髪が生じ、「髪長姫」と呼ばれるようになった。彼女は文武天皇の妃になり、聖武天皇を産んだ(和歌山県・道成寺)。
『日本霊異記』中-21 聖武天皇の代、金鷲寺(=現・東大寺)で、1人の優婆塞が執金剛神像の腓に縄をかけ、引きつつ礼拝していた。ある時、神像の腓が光を放ち、皇居に達した〔*『今昔物語集』巻17-49に類話〕。
『日本霊異記』中-36 奈良の下毛野寺の観音像の頸が切れ落ちたが、1日1夜を経て自然にもとのようにつながり、光を放った〔*『今昔物語集』巻16-11に類話〕。
『日本霊異記』中-39 井河の岸辺の沙中から掘り出された薬師像は、光を放ち、霊験あらたかだった〔*『今昔物語集』巻12-12に類話〕。
『日本書紀』巻19〔第29代〕欽明天皇14年(A.D.553)5月 泉群の茅渟海に、日光のごとく照り輝く楠が浮かんでいた。この木で2体の仏像を造り、吉野寺に納めた〔*『日本霊異記』上-5・『今昔物語集』巻11-23に異伝〕。
★2c.光る剣。
『尾張国風土記』逸文 日本武命(やまとたけるのみこと)が東征を終えての帰途、尾張国で宮酢媛(みやずひめ)を妻とした。夜、日本武命は厠へ行く時に剣を桑の木に掛け、そのまま忘れた。後から取りに行くと、剣は光輝いて神のごとく、触れることができなかった。日本武命は「この剣を私の形代(かたしろ)として祭れ」と、宮酢媛に告げた。これによって熱田の社を建て、その剣を祭った。
『太平記』巻13「干将莫耶が事」 ある時、天に1つの悪星が現れた。張華・雷煥という2人の臣がこの星を見ていたところ、古い獄門の辺から剣の光が天に上がり、悪星と戦う気配がした。光の発する所を掘ると、干将・莫耶の剣が、土5尺の下に埋もれていた→〔龍〕2c。
★2d.光る鎧。
『肥前国風土記』基肆(き)の郡長岡の神の社 〔第12代〕景行天皇(在位A.D.71~130)が酒殿の泉のほとりにいた時、着ていた鎧が光り輝き、常と異なっていた。占いにより、この地の神が鎧を欲しているとわかったので、景行天皇は鎧を神社に納めた。
★2e.光る石。
『土佐国風土記』逸文 神功皇后が諸国を巡幸した時に、玉島の磯で1つの白石を拾った。掌に置くと、光明が四方に輝いた。神功皇后は「これは海神(わたつみ)が下さった真白な真珠だ」と言った。
『三国伝記』巻4-9 夢窓国師の母は、金色の光が西から来て口に入ると夢に見、懐妊した。
『三国伝記』巻4-9 夢窓国師が生まれた時、光が室内に満ちた。
『十八史略』巻6「宋」 宋の太祖皇帝趙匡胤が生まれた時、赤光が室に満ちた。
『日本書紀』巻14〔第21代〕雄略天皇即位前紀 雄略天皇が生まれた時、光が御殿に満ちた。
『今昔物語集』巻15-32 松尾の山寺の僧尋祐が死んだ夜、大きな光が出現して山の内をくまなく照らした。
『東海道名所記』巻6 弟子達が、火葬した法然の骨を箱に入れ書付けをして、大炊川に流す。西の岡・青野の堰にかかり光を放ったので村人が怪しみ、上人の骨と知って寺を建てた。これが青野の光明寺である。
『水鏡』中巻 道昭の室の中に俄に光が満ち、弟子たちの見るうちに光は室を出て寺の庭に巡り、やがて西をさして飛び去った。その後に道昭は縄床に端座して死んだ。
『和漢三才図会』巻第66・大日本国「上野」 長楽寺の開山・栄朝は禅風の隆盛に力を尽くし、宝治元年(1247)9月26日戌(いぬ)の刻に遷化した。時に寺内は大へん明るく、炬燭(ともしび)の明るさ以上になった。不思議なことであった。
『発心集』巻3-2 伊予僧都が長年召し使う大童子(だいどうじ)は、朝晩に念仏を唱え、怠ることがなかった。ある夜、伊予僧都は、大童子の頭上に光が現れているのを見て驚き、彼を仕事から解放した。大童子は庵にこもり一心に念仏して、見事に往生を遂げた。
『ユング自伝』10「幻像」 68歳の時、「私(ユング)」は心筋梗塞に続いて足を骨折し、危篤に陥った。幸い「私」は回復したが、後日、付き添いの看護婦は「まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした」と言った。そういう現象を、死んで行く人たちに何度か見かけた、と彼女はつけ加えた。
『なめとこ山の熊』(宮沢賢治) 猟師の淵沢小十郎は、1月のある日、熊の一撃を受けて倒れた。があんと頭が鳴り、まわりが真っ青になった。「もうおれは死んだ」と、小十郎は思った。ちらちらちらちら青い星のような光が、そこらいちめんに見える。「これが死んだしるしだ。死ぬ時、見る火だ」。それからあとの小十郎の心持は、もう「私(宮沢賢治)」にはわからない→〔熊〕7a。
『南島の神話』(後藤明)第5章「火山の女神と英雄マウイ」 太陽が昇っても、あっという間に沈んでしまうので、作物もならず、皆困っていた。英雄マウイが、山頂に穴を掘って隠れ、日の出を待つ。やがて1すじの光が見えるが、それは太陽の1本目の足だった。マウイはそれを紐で木に縛りつけた。次々と足が現れ、マウイは16本の長い足を、全部縛りつけてしまった。太陽は命乞いし、マウイは、これからはゆっくり動くように命じた(ハワイの神話)。
★6b.太陽光線=針。
太陽の光が目を刺すわけ(アルメニアの民話) 昔、兄の月は昼の空をめぐり、妹の太陽は夜の空をめぐっていた。ある時、妹は「夜は怖い」と、兄に訴えた。「だからといって、昼は皆に見られるから、それもまた困るわ」とも言った。そこで兄は妹にこう告げた。「お前は針を持って昼の空をめぐり、お前を見るやつの目を針で刺せ」。以来、太陽は自分を見ようとする者の目を、光線でくらませるようになった。
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