光格上皇とは? わかりやすく解説

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光格天皇

(光格上皇 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 08:18 UTC 版)

光格天皇(こうかくてんのう、1771年9月23日明和8年8月15日〉 - 1840年12月11日天保11年11月18日〉)は、日本の第119代天皇[注釈 1](在位: 1780年1月1日〈安永8年11月25日〉 - 1817年5月7日〈文化14年3月22日〉)。御称号祐宮(さちのみや)。師仁(もろひと)、のち兼仁(ともひと)[注釈 2]


注釈

  1. ^ 光格天皇自身は、「神武第百二十代兼仁」「神武百二十世兼仁」「百二十代兼仁」(120代)と自署していた[1]。この差異は、『本朝皇胤紹運録』にて、現在は歴代天皇に数えられていない北朝の天皇を歴代天皇として数えていることから来る[2]
  2. ^ 初め師仁と称したが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁に改めた。
  3. ^ 恭礼門院妙法院、後桜町上皇は青蓮院粟田御所)にそれぞれ移った。後桜町上皇の生母青綺門院の仮御所となった知恩院と青蓮院の間に、幕府が廊下を設けて通行の便を図っている。
  4. ^ 産経新聞によると、天皇明仁が2010年に宮内庁幹部に譲位の意向を示した際、光格天皇譲位の先例を調べるよう依頼したという。“陛下 光格天皇の事例ご研究 宮内庁に調査依頼 6年半前”. 産経新聞. (2017年1月24日). オリジナルの2017年1月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170126071502/http://www.sankei.com/life/news/170124/lif1701240001-n1.html 
  5. ^ 長子相続(代々の長男)による践祚は昭和明仁徳仁の3天皇のみで、仁孝から大正までの歴代天皇はいずれも父帝たる天皇から見て次男以後の続柄にあたる。

出典

  1. ^ 宸翰栄華
  2. ^ 書陵部所蔵目録・画像公開システム,ギャラリーバックナンバー,『光格天皇宸翰南無阿弥陀仏』
  3. ^ 『山科忠言卿伝奏記 四』文化14年3月15日条
  4. ^ 長坂、2018年、P165-182.
  5. ^ 200年前の光格上皇が「令和」の2019年に伝えた遺産”. 日経Biz Gate (2019年4月26日). 2019年5月21日閲覧。
  6. ^ 善光寺本坊大勧進「大勧進の名僧・等順大僧正」
  7. ^ 宮島潤子『信濃の聖と木食行者』(角川書店、1983年)


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