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大黒屋光太夫

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 04:18 UTC 版)

大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう、宝暦元年〈1751年〉 - 文政11年4月15日1828年5月28日〉)は、江戸時代後期の伊勢国奄芸郡白子(現在の三重県鈴鹿市)の港を拠点とした回船(運輸船)の船頭


  1. ^ 岩井憲幸「ゲッチンゲン大学蔵大黒屋光太夫筆日本図について:書誌学的・文献学的一研究」『明治大学教養論集』第269号、明治大学教養論集刊行会、1994年12月、153-215頁、ISSN 03896005NAID 120001441159  p.158 より
  2. ^ Journal historique du voyage de M. de Lesseps, consul de France, employé dans l'expédition de M. le comte de la Pérouse en qualité d'interprète du roi ; depuis l'instant où il a quitté les frégates Françaises au port Saint-Pierre et Saint-Paul du Kamtschatka jusqu'à son arrivée en France le 17 octobre 1788 , Paris, Impr. royale 1790 , 2 vol. Royal 1790, 2 vol. in 8. in 8. フランス語の原題 Archived 2008年10月13日, at the Wayback Machine. 1790年に英語へ翻訳された。英題Travels in Kamchatka during the years 1787 and 1788 英語版を出典に使用している例が見られる
  3. ^ L.ベルグ『カムチャツカ発見とベーリング探検』龍吟社、1942年、222頁。 
  4. ^ 【五感紀行】小市根室に眠る「ここも日本か」故郷は遠く『北海道新聞』日曜朝刊別刷り2021年4月25日1-2面
  5. ^ 岩波文庫版『北槎聞略』(1990年10月30日、亀井高孝・校訂)巻末の加藤九祚による「解説」には「小石川の幕府薬草園」とあるが(p.483)、これは薬草園‐小石川の連想に由来する書き間違いであろう。老中戸田采女正氏敦から勘定奉行久世丹後守広民に1794年(寛政6年)年6月11日付で出された通達には「…住所之儀は番町明地薬草植場之内住居為任(つかまつらせ)…」とある。これは、木崎良平『漂流民とロシア』中公新書(1991年6月25日発行) p.72でも読むことができる。平凡社『ロシア・ソ連を知る事典』(1994年4月25日・初版第5刷増補版) p.336「大黒屋光太夫」(執筆者:中村喜和)にも「…光太夫と磯吉は江戸に送られ、生涯番町の薬園に住まわされた」とある。
  6. ^ 木崎良平『漂流民とロシア』中公新書(1991年6月25日発行)pp.75-6「光太夫自身も、享和2年(1802年)に一時帰郷を許された。…この光太夫一時帰郷に関する史料が、昭和61年7月、鈴鹿市南若松町で見出され、宮永孝氏の『北槎聞略』(現代語訳昭和63年、雄松堂刊)の巻末に紹介されている。…」。
  7. ^ “建立230年の光太夫供養碑を修復 鈴鹿で開眼法要”. 中日新聞. (2013年12月1日). オリジナルの2013年12月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131203021856/http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20131201/CK2013120102000011.html 2013年12月1日閲覧。 
  8. ^ 大黒屋光太夫顕彰会・鈴鹿市観光協会・鈴鹿市 編『大黒屋光太夫物語』(1992年5月再版)巻末





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