元禄検地
元禄検地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/29 06:19 UTC 版)
この時期、蔵米地方直と同時に、地方直とは無関係な旗本の知行地(=領地)の割り替えも行われた。この割り替えは、約200人の旗本たちの知行地を、一度上知(土地の召し上げ)した上で代知割り(代りの知行地を与える)するという形でなされた。上知された土地の多くは関東の知行所で、中部・近畿地方の土地を代地として宛がわれた。その上で、幕府は天領と上知した旗本領の検地(元禄検地)も行った。当時は農業生産技術が発展し、農業後進地域であった関東地方の生産力も上昇していたこと、開墾可能な山林や荒れ地も検地したことで、石盛は大幅に高まった。 元禄の地方直は、検地によって土地の石高を上げたことと、蔵米取の旗本には検地によって石高が上昇した土地を割り振ることで、石高上昇分の年貢収入+旗本に支給する蔵米の実質的削減の2つの効果によって財政改善が図られたのである。
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