元木大介とは?

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元木 大介

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芸名元木 大介
芸名フリガナモトキ ダイスケ
性別男性
生年月日1971/12/30
星座やぎ座
干支亥年
身長180 cm
靴のサイズ27 cm
プロフィール巨人在籍していた当時から、その明る人柄人気得ていた。現役引退後は野球解説者タレントとして様々なメディア活動
代表作品1TBSラジオエキサイト・ベースボール解説
代表作品2フジテレビたまッチ!
代表作品3日本テレビThe・サンデー
職種スポーツ
趣味・特技車/時計

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元木大介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/28 09:39 UTC 版)


元木 大介
別名 モックン
生年月日 1971年12月30日(38歳)
出生地 日本
活動期間 1990年(プロ野球選手として) -
活動内容 プロ野球選手野球解説者
元木 大介
基本情報
国籍 Flag of Japan.svg 日本
出身地 大阪府豊中市
生年月日 1971年12月30日(38歳)
身長
体重
180cm
93kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手遊撃手三塁手
プロ入り 1990年 ドラフト1位
初出場 1992年4月8日対阪神戦
最終出場 2005年10月5日対広島戦
経歴(括弧内は在籍年)

元木 大介(もとき だいすけ、1971年12月30日 - )は、読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手。ポジションは内野手外野手大阪府豊中市出身。愛称は「モックン」「ダイスケ」「モッキーナ」など。現在は野球解説者タレント歌手として活動中。所属事務所はアワーソングスクリエイティブ(ケイダッシュ系)

目次

来歴・人物

幼少時代は南海ホークスファンで、たびたび大阪球場に足を運び、ホークス友の会に入会していた他、南海OBによって運営されていた少年野球チーム・ジュニアホークスにも入っていた。小学6年生の頃、当時巨人の監督だった王貞治と対面し、一緒に記念撮影をした際、「プロ野球に入るなら巨人に来いよ」と激励された事に感激して以来巨人ファンに転向したという[1]

豊中市立第十二中学校時代、バッティング練習中にあまりに打球を飛ばすので学校が近所への迷惑も考え高いネットを張った。「元木ネット」と言われている。その後この中学では元木ネットが必要になるような選手は出ていない。

上宮高校甲子園に3回出場。1989年夏の甲子園では1試合2本塁打を放つなど注目された。同校では種田仁小野寺在二郎ほっしゃん。(お笑い芸人)とチームメイトである。高校通算24本塁打。甲子園通算6本塁打は清原和博に次いで歴代2位タイ(桑田真澄と同数)の記録である。

当時はその端正なマスク、スターと言われた外見とは裏腹に、あまりに唐突な発言の連発でチームの人気者となり、キャプテンに選ばれた。また、殺到するファンを避けるどころか、気さくな笑顔で手を振って応じるなど、それまでの人気選手の立ち振る舞いとは一線を画していた。別の高校に進学した先輩にもきちんと挨拶に行く等、礼儀正しい選手だった。
高校野球では全力疾走・全力プレーが当たり前にも関わらず一塁まで走らなかったことがあり、当時の上宮高校・山上監督に殴られたことがあったという。実際、1989年の夏の甲子園3回戦の対八幡商で内野フライを放ち、1塁へ走るのをやめたことがあった。ところが、そのフライを相手内野手が落球。走るのをやめてしまっていた元木は1塁でアウト。ベンチに戻ってきたところを山上監督に怒鳴られるシーンが全国に中継された。
1989年10月15日に電車の中で近鉄仰木彬監督(当時)と乗り合わせ、握手をしてもらっていた。当日は近鉄の優勝が決まるかというタイミングで仰木監督の出勤シーンを撮りにテレビのカメラマンがついてきており、その模様がニュースで放映されていた。

同年のドラフト会議では読売ジャイアンツの指名を希望するが、巨人は大森剛を1位指名。福岡ダイエーホークスから野茂英雄の外れ1位で指名されるがこれを断り、1年間ハワイ野球留学する。実際にはハワイの環境では本格的な野球練習は出来ず、大学・社会人に進むと次回ドラフト指名まで年数がかかるためそれを避ける行動だったといわれる。この野球留学中、ベニー・アグバヤニ(元千葉ロッテマリーンズ)とチームメイトになり、知り合いになったという。

1990年のドラフト会議で巨人より1位指名を受けて入団する。1992年から1軍で活躍。レギュラーを確保したシーズンは1998年の1シーズンしかないが、バッテリーを除く全てのポジションを守れるユーティリティープレイヤーとして活躍する。マスコミに取り上げられる機会が多く、チャンスに強い打撃、隠し球・併殺崩しなどの狡猾なプレースタイル、また進塁打や味方の盗塁を助けるためにわざと空振りをするなどの自分を犠牲にしたプレーを出来ることから長嶋茂雄監督にクセ者と言われ、マスコミに好んで使われる愛称となった。このプレースタイルは、高校時代はホームランバッターとして活躍したものの、プロではこれでは生き残っていけないと悟った元木が、プロで生き残っていくために選んだものだった。

2004年以降は度重なる故障に悩まされ、2005年堀内恒夫監督のチーム若返りの方針により後半戦は戦力構想から外れて2軍生活を送ることとなり、活躍の場を失った。首脳陣への当てつけか、自軍ダグアウトのベンチ・椅子ではなく、階段に体育座りしていたようなところもあった。その年の9月に戦力外通告を受ける。オリックス・バファローズ東北楽天ゴールデンイーグルスなどから入団の誘いがあった[2]ものの、浪人してまで巨人入団を1年待った経緯もあり、「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳の若さで現役を引退。後藤孝志とともに自ら身を引く形となった。世代交代する巨人に迷惑をかけたくなかったという。最終戦で引退試合に出場。

2005年シーズンオフから日本テレビ系列のTHE・サンデーのスポーツキャスターを務めている。2006年よりTBSラジオ野球解説者スポーツ報知評論家となった。まだ30代半ばと若いこともあり、中継の際は必ず年上・年下問わず「XX選手」と言うようにしている。

2007年から、マスターズリーグ・東京ドリームスに参加している。内野手登録で、背番号は2となっている。

プレースタイル

守備

投手、捕手以外ならどこでも守れるユーティリティープレイヤー(主に内野)。そのためオールスターでは、初出場の98年は三塁手、翌99年は遊撃手のファン投票で出場するも、98年は二塁手、99年は三塁手で試合に出場した。この事について元木は「オールスターくらい選ばれた所で出たいよ」とトークショーなどで笑いながら語っている。守備では隠し球を画策することが多かった。このせいで桑田真澄ボークをとられてしまった事がある。また、後述する走塁と同様、相手選手の体を直接止めるプレーをしたことがある。

打撃・走塁

気のない空振りから一転してフルスイングするようなプレーは相手に嫌われたが、全力でプレーしているように見えないのも「クセ者」としての一種の戦術であり、自ら「練習嫌い=天才肌」のイメージを広めたという。入団時の監督の藤田元司は「センスも素質も凄いから何でもできちゃう」と元木の能力を認めた上で、「ぼくは元木にああなってほしい」と、当時のチームリーダーだった川相昌弘のあとを背負うことを期待していた(2002年の糸井重里との対談より)。高校時代の監督も、たびたび元木以外のチームメイト(種田仁など)を擁護した発言をしている。

キャンプの際は真っ先にリタイアし、別メニューになる常連だった。足が遅い事が『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』でよく取り上げられ、カメラを担いで後ろ向きに走る取材陣に追いつけないシーンがしばしば放送された。当時の長嶋監督が、巨人担当記者に「大介は何が得意なんだ?」と聞く始末であった。

ただし、1シーズン三塁打3本を2回記録しているように、走塁センス自体は高かった。走塁ではいわゆる併殺崩しを積極的に行った。なかには相手野手にしがみつくなどの行為もあり、守備妨害と判定されることも度々あった。

  • 1999年、阪神タイガース戦で一塁ランナーの元木が内野ゴロで二塁ベースへ滑り込んだ際、二塁手の和田豊をなぎ倒す形で併殺崩しを行い、和田が元木に覆いかぶさるように倒れ込んだ。この時、普段温厚な和田にボールでヘルメットを叩かれた。
  • 2000年中日ドラゴンズ戦で1アウト1、3塁の場面でバッターがショートゴロを打ち、併殺打かと思われたが、一塁ランナーの元木が二塁に滑り込んだ時、二塁ベースにいて一塁に送球しようとしていた二塁手立浪和義を蹴ったため、立浪は一塁へ投げることが出来ず、三塁ランナーのドミンゴ・マルティネスがホームインした。
  • 一方、アグレッシブな走塁が裏目に出たケースもある。2001年広島東洋カープ戦で1アウト1、3塁の場面でバッターがサードゴロを打ち、三塁手新井貴浩が二塁へ送球し、二塁ベースにいたセカンドのエディ・ディアスが一塁へ投げようとした所に、一塁ランナーの元木が体当たりするように二塁ベースに滑り込んできたため、ディアスは一塁へ送球できず、これを不服とした広島の山本浩二監督が抗議しようとしたが、山本監督が抗議する前に審判は守備妨害と判断し、併殺が成立した。

ここぞという大事な場面できっちり結果を出すことの多かった選手であり、ファンの信頼も大きかった。1998年の得点圏打率.398はセ・リーグ1位。「巨人キラー」と言われていた中日の山本昌との対戦成績は5割を誇っていた。2000年9月24日東京ドームでの中日ドラゴンズ戦で「2番・左翼手」として先発出場し、8回まで被安打5・無四球無失点と生涯最高のピッチングをしていた前田幸長からライト前ヒットで出塁、2番手エディ・ギャラードから江藤智が同点満塁弾、二岡智宏がサヨナラホームランを放ち、巨人4年ぶりリーグ優勝決定する口火を切った。

一方、やる気がない(と見受けられる)ときにはあっさり凡退するという声もあった。送りバントのサインを無視して本塁打を打ったことがある。ダイヤモンドを一周してベンチに戻って来た元木に当時ヘッドコーチであった須藤豊が何やら諭す場面がテレビで中継された。高校時代にスラッガーとして活躍したため、入団当初はそのような期待を受けていたが、本塁打を9本打ったシーズンが4度あるものの、結局10本に届くことはなかった。

広島市民球場での広島東洋カープ戦で、球審だった谷博にストライクカウントを間違えられ、2ストライクなのにストライクアウトとコールされたことがある。このことは『珍プレー・好プレー大賞』でも取り上げられた。

最後のシーズンとなった2005年、ある打席でバスターを狙うもツーナッシングまで追い込まれた時、外角のボールめがけて投げたバットにボールが当たり、その打球がフェアゾーンに飛んでタイムリーになるという、ヒットを放った。後のインタビューではボールがフェアゾーンに飛んだ際、元木自身も驚いている表情をしていたが「狙ってました」とコメントしていた。

ジャイアンツ時代の打席テーマソングはウィル・スミスの「Party Starter

人間関係

1996年オフに西武ライオンズからFA宣言し、読売ジャイアンツへ移籍した清原和博とは親交が深く、清原は「広沢さんと元木がいなかったら自分はどうなっていたか」と語り、元木は親分と慕う仲である。しかし、プライベートの付き合いは少なく、巨人時代は年に2回ほど食事をする程度だったとのこと。

2000年シーズンも佳境を迎えた頃の出来事で、ある日試合前トイレに行った際、「個室」のドアが閉まりっぱなしでなかなか開かず、中にいるのが選手[3]だと思っていたためドアの前で「ウンコちゃん待ちぃー!」などと散々悪態をついた。しかし、実際に入っていたのは首位争いにピリピリしていた長嶋茂雄監督(当時)だった。長嶋は用を済ませドアを開けるなり顔をグッと元木に近づけ「ガタガタうるさいんだ、バカ!!!」と一喝。元木はこれを「肝を冷やした出来事」の一つとして挙げている。この事でこの日は試合に出してもらえないと思ったという。この日の試合は巨人が勝ったものの、元木のテンションは低かった。

選手時代後半にはファンサービスの一環で試合後に東京ドームベンチ裏で勝利インタビューを受ける監督の背後をわざとカメラ目線で通過することがお約束となっていた。その姿はよくマスコミに使われ、さらには他の選手(工藤公康清水隆行など)も同様の行動をとったことがある。

阿部慎之助へのドッキリとして、番組の企画でメジャー移籍記者会見をした。

家族・趣味など

妻は元日本テレビアナウンサー大神いずみ。日本テレビの番組で知り合い、大神の日本テレビ退社後、1998年に結婚。2006年1月、第1子となる長男が誕生。元木は、結婚式の仲人を長嶋茂雄監督(当時)に依頼。その後、式前のシーズン中、何度か長嶋に妻を紹介しようとしたが、長嶋は「まだまってくれ」、「今はシーズン中だ」と断ってしまい、結局紹介できたのは式の二週間前になったという。

大神によると、大変に腹を壊しやすい。料理の内容に気をつけないとすぐトイレに入ってしまうという。また家では非常に几帳面な性格で綺麗好き(大神、清原和博談)。遠征で清原と相部屋になった時、清原が散らかしっぱなしでどこかに出かけた間に、清原が散らかしたものを綺麗に整理整頓したこともある。カレーが嫌いで、大神はメニューに悩んだ際につい作ってしまい、慌てて肉じゃがに変更したりすることがあるという。現役時代、カレー好きの槙原寛己がカレーを食べている時に「人間の食いモンやないですよ」と言ってしまい、激怒した槙原に食べていたカレーを顔に付けられた上、1週間カレーの匂いをかがされた。槙原に「ジャイアンツには、変な人間が2人いた。元木と水野です。あの2人はカレーが嫌いだなんて、僕には理解できない」とビストロスマップで述べられた(槙原について元木は自伝「クセ者」の中で「兄弟盃を交わした仲」と述べている)。

愛車はトヨタ・ハイエース。車内は「走る応接室」と化しており、改造費に600万円かかったという。雑誌「カスタムCAR」にも載った事がある。

タレント活動

  • 一攫千金!日本ルー列島にゲスト出演した際、珍解答を連発したり、簡単に答えられそうな問題になかなか答えられない姿を見た司会の島田紳助から「ヘキサゴン出れますやん!探してるんですよ、知名度の高いバカ」と言われて同じく司会を務めるヘキサゴンへの出演を勧められる。
  • なお、元木の知識の薄さについては『クイズ!ヘキサゴンII』出演以前にも言及されており、プロ入り後、遠征時にスポーツ新聞を読みながら大久保博元に「デーブさん、苦手が伸び悩んでるってどういう意味ですか」と聞き、聞かれた大久保がその新聞に目をやったところ、「若手が伸び悩んでいる」と書いてあったという(大久保が引退後1995年にテレビのバラエティ番組に出演した際に、「名前は言えないが、関西出身の某M内野手」としてこのエピソードを話していた)。また、中畑清に「漢字が読めないんだからスポーツ新聞じゃなくて普通の新聞を読め」と言われて読んだ翌日、知恵熱を出して休んだという[4]。また、妻の大神いずみの話では、TV番組で「日本一大きな湖は?」という問いに、「日本海」と答えたとのこと(正解は琵琶湖)。これらのエピソードに対して、明石家さんまは「野球で外にいるから炎天下の暑さで頭脳が壊れている」と述べている。

クイズ!ヘキサゴンII

  • 上記の出来事をきっかけに2008年12月10日放送分で初出演し以降、下位常連の準レギュラーとなった。2009年7月頃から後に同じく準レギュラーとなった山田親太朗辻希美と共に「おバカの新人」(おバカ御三家)と評されている。但しペーパーテストの成績や順位が出演する回によって変動するため稀に中位に入る事もある。番組では南明奈の愛称である「アッキーナ」、木下優樹菜の愛称である「ユッキーナ」らをもじって「モッキーナ」と呼ばれている。
  • ちゃんと出題できるかな!? アナウンスクイズ」が特に苦手で、2009年4月8日放送分では初の出題者となり当時コーナー最低記録タイの10点[5][6]を記録[7]し解答者が元木の元に詰め寄る一幕も見られた。
  • 2009年5月16日の収録での「みんなで跳ぼう! 縄跳びクイズ!」で、長縄跳びから脱出する際に転倒してアキレス腱を断裂する重傷を負った[8]。該当のシーンは6月10日放送分の同番組でそのまま放送された。この回は本来なら「行列早抜け!リレークイズ」ではチームのアンカーだったが、このアクシデントで収録を抜けることとなり[9]、同チームの前の解答者のmisonoが2問解答することとなった。詳細が「テレフォンショッキング」で明かされ、それによるとアキレス腱の切れた音が後ろの出演者にも聞こえ、最初は縄に当たったから痛いと思っていたが、足がプラプラの状態になり、更にそれを目の当たりにした出演者が突然ストレッチを始めた。翌週の6月17日放送分はケガをする前の収録のため、縄跳びクイズには普通に参加していた。その後、元木が出演した回で縄跳びクイズを行う場合は中村仁美アナウンサーが代理として出場する事になった。足の状態もよくなった、同年12月16日放送分からは復帰したものの、問題に答えられず、更に出れなくなり、紳助からダメ出しを受けた。
  • ヘキサゴンオールスターズの『泣いてもいいですか』のレコーディングに参加している他、ヘキサゴンユニットとしては矢口真里とストローハットに所属している。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1991 巨人 37 一軍出場なし
1992 34 72 59 7 11 2 0 0 13 2 2 2 2 0 10 1 15 2 .186 .220 .314 .536
1993 80 222 186 25 44 7 1 4 65 15 1 3 3 0 32 1 25 7 .237 .349 .352 .701
1994 2 90 248 218 26 61 6 0 4 79 25 1 2 6 1 21 2 23 3 .280 .362 .349 .711
1995 67 219 197 13 48 11 1 3 70 25 5 3 5 1 15 1 23 5 .244 .355 .300 .655
1996 91 326 288 34 66 14 1 9 109 35 3 2 6 4 25 3 51 5 .229 .378 .297 .675
1997 101 337 312 33 88 10 1 9 127 32 1 1 7 2 14 2 46 6 .282 .407 .317 .724
1998 114 456 397 49 118 18 3 9 169 55 3 2 6 3 45 5 56 18 .297 .426 .376 .802
1999 114 372 327 28 75 12 0 6 105 34 0 1 8 1 36 0 49 11 .229 .321 .306 .627
2000 114 353 310 40 85 17 0 5 117 29 0 2 7 1 34 1 47 7 .274 .377 .348 .725
2001 123 441 391 51 114 16 3 9 163 39 3 0 9 2 37 2 51 13 .292 .417 .356 .773
2002 121 381 343 39 88 12 1 6 120 52 1 0 8 5 23 0 58 19 .257 .350 .303 .653
2003 60 153 143 11 32 9 0 0 41 14 0 0 3 0 5 2 19 6 .224 .287 .260 .547
2004 55 128 121 11 29 5 0 2 40 13 0 1 0 1 6 0 24 3 .240 .331 .276 .607
2005 41 120 105 9 32 4 0 0 36 8 1 1 4 1 9 1 21 2 .305 .343 .365 .708
通算成績 1205 3828 3397 376 891 143 11 66 1254 378 21 20 74 22 312 21 508 107 .262 .369 .328 .697

年度別守備成績



二塁 三塁 遊撃




































1992 13 19 21 0 2 1.000 14 10 24 6 0 .850
1993 51 74 114 2 21 .989 6 2 12 1 3 .933 15 6 6 1 3 .923
1994 57 97 141 2 29 .992 21 6 16 2 0 .917 9 10 16 0 3 1.000
1995 47 68 87 4 18 .975 6 1 2 1 0 .750 19 30 56 1 8 .989
1996 77 188 222 2 57 .995 8 3 5 1 0 .889 16 14 22 1 6 .973
1997 35 72 90 1 22 .994 42 23 64 4 6 .956 28 33 50 0 13 1.000
1998 15 26 35 0 5 1.000 60 45 64 5 8 .956 51 74 115 2 27 .990
1999 11 20 25 1 5 .978 88 55 117 4 10 .977 4 6 10 0 2 1.000
2000 7 14 11 0 2 1.000 34 15 25 1 1 .976 54 67 98 7 22 .959
2001 3 2 2 0 1 1.000 19 4 13 0 1 1.000 83 92 194 4 42 .986
2002 27 35 62 0 11 1.000 60 28 67 6 5 .941 30 41 63 0 13 1.000
2003 16 25 49 0 8 1.000 42 18 41 1 3 .983 1 0 0 0 0 -
2004 1 2 5 0 1 1.000 5 1 0 1 0 .500 23 32 63 1 13 .990
2005 13 22 29 2 7 .962 8 4 6 0 2 1.000 1 0 0 0 0 -
通算 373 664 893 14 189 .991 399 205 432 27 39 .959 348 415 717 23 152 .980


一塁 外野
























1999 1 2 0 0 0 1.000
2000 6 15 1 0 1 1.000 28 15 0 0 0 1.000
2001 1 1 0 0 0 1.000 35 39 3 0 1 1.000
2002 19 93 3 0 3 1.000
2003 11 27 2 0 1 1.000
2005 11 66 0 0 7 1.000
通算 48 202 6 0 12 1.000 64 56 3 0 1 1.000

背番号

  • 37(1991年 - 1993年)
  • 2(1994年 - 2005年)

個人記録

著書

出演番組

<レギュラー>

<過去レギュラー>

関連項目

脚注

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  1. ^ 『THE・サンデー』最終回で自ら語っていた他、以前『プロ野球ai』に母親が寄稿した際にその時の写真が掲載されていた。この経緯から引退して解説者となってからも、王からはよく声をかけてもらったと語っていた。
  2. ^ チームの中心選手ではない元木がトレードされる憶測はそれ以前にもしばしば流されており、2004年シーズン途中には、当時大阪近鉄バファローズ高村祐とのトレードという誤報を東京中日スポーツに出されている。
  3. ^ 二岡智宏と思いこんだといわれていたが、本人は江藤智、または松井秀喜と勘違いしたと語っている(2009年6月28日ジャンクスポーツ出演時)。
  4. ^ 2009年4月6日、1分間の深イイ話超伝説3時間SP(日本テレビ系)にて、清原和博談。
  5. ^ 2009年7月8日に山田親太朗が0点でコーナー最低記録を更新している。
  6. ^ 2009年8月26日放送分で2回目の10点となった
  7. ^ 2009年8月2日放送分では自己最高の90点を記録した
  8. ^ 元巨人の元木なわとびで左アキレス腱断裂、2009年5月28日、日刊スポーツ
  9. ^ アクシデントで収録を抜けるということ自体番組史上初だった。

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