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佐々木剛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/07 16:35 UTC 版)

ささき たけし
佐々木 剛
本名 ふくい のりお
福井 憲雄
別名 八代 悠(旧芸名)
生年月日 1947年5月7日(64歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県新発田市
民族 日本人
身長 172cm
血液型 A
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ舞台
活動期間 1968年 -
活動内容 1968年:デビュー
1970年:『柔道一直線
1971年:『仮面ライダー
1973年:『黒帯風雲録 柔
2008年:『改造人間哀歌』
主な作品
映画
女王蜂』『餌食』

テレビドラマ
柔道一直線』『お荷物小荷物
仮面ライダー』『黒帯風雲録 柔
風と雲と虹と』『虹を織る


舞台
『雲の如く』『忠治』
『乱 天草・島原1637』
『改造人間哀歌』
『改造人間哀歌2〜星空の約束〜』

佐々木 剛(ささき たけし、1947年5月7日 - )は、日本の俳優。本名:福井 憲雄(ふくい のりお)、旧芸名:八代 悠(やしろ ゆう)。

新潟県新発田市出身。身長172cm、体重75kg。血液型はA型。新潟県立新発田高等学校卒業。

目次

略歴

1965年新潟県立新発田高等学校卒業後、日活のスターだった赤木圭一郎に憧れて、俳優を目指して上京。東宝芸能学校、劇団NLT俳優教室、劇団俳優小劇場付属養成所を経て、新国劇の研究生となる、ちなみに石橋正次は同期である。

1968年、養成所時代に八代 悠(やしろ ゆう)の芸名で『開花探偵帖』(NHK)で俳優デビュー。

1970年には、『柔道一直線』(TBS)出演を機に芸名を「佐々木 剛」に改める。他に『お荷物小荷物』(朝日放送)に出演。これらがきっかけで一躍人気俳優の仲間入りを果たす。

1971年、『繭子ひとり』(NHK)に出演。

同年7月より『仮面ライダー』(毎日放送)、藤岡弘演じる本郷猛 / 仮面ライダー1号に代わって、新たな主人公一文字隼人 / 仮面ライダー2号役で出演。同番組は、佐々木が劇中でとる「変身ポーズ」が「子供達で真似しないものはいない」とまで言われるほどの爆発的なブームとなり、「変身ブーム」と呼ばれる社会現象をも引き起こした。

1972年、24歳。4月に藤岡が主役復帰した際にスタッフから「是非ダブルライダーで主演を」と依頼されるも、「当初の約束」を守り主役を降板した。その後はゲストとしてダブルライダー編に出演している。後番組『V3』以降の仮面ライダーシリーズへの客演も多く、本人によると「客演のオファーを断ったことがない」そうである。

1973年、『素浪人 天下太平』(NET)で「うづ巻の勘太」役を演じる。以後、時代劇刑事ドラマへのゲスト出演多数。善悪問わず様々な役柄で俳優として活躍。

1982年、34歳。自宅で深酒をして泥酔中に、ストーブからの失火で自宅が全焼した。この火事で全身火傷を負い、一命は取り留めたものの、俳優の命ともいえる顔に何度も皮膚移植を行わねばならないほどの重傷を負う。回復後、仕事を声優活動に切り替え、「新人と同じ扱いでどんな仕事でもこなしていきたい」と望んだが、「ベテラン故に使いにくい」との理由で仕事は激減、長らく俳優業を離れることとなる。

1984年、『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』(毎日放送)で仮面ライダー2号を演じるが、顔の火傷のため、声のみの出演だった。ただし、これは火傷を負って以降の後述する舞台復帰までの約10年間で数少ない正式出演依頼であった。1986年には『仮面ライダー大全集』(講談社刊)の座談会に出席している。口髭を蓄えた姿で、「舞台を中心に活動」と紹介されている。

その後、離婚やホームレス生活を経験、酒を飲んで暴れたり、一日中パチンコに行ったりの生活を送る。

1991年、44歳。石橋正次をはじめとした友人俳優の世話を受け、舞台『会津士魂』にて俳優業への復帰を果たす。1995年ごろには日光江戸村に師範代として所属し、常設の舞台で演じるのと並行し、若手の指導にあたった。

近年は年齢を重ねた押し出しの強い風貌を武器に、舞台を中心に俳優活動を展開、好評を博している。

2011年、『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』で仮面ライダー2号の声を担当することが発表された。映像作品で2号を演じるのは『ZX』の特番以来27年ぶりとなった。丸の内TOEIで行われた舞台挨拶では「生身で出られなくて寂しいので、ここで変身ポーズを見せる」として自ら観客の前で変身ポーズを披露した。

人物

最初の芸名である「八代悠」は、師匠の高垣葵から命名されたもの。その後のNHK番組への出演は、高垣の紹介によるものだった。「佐々木剛」の芸名は、『柔道一直線』の出演が決まった際に、「名前だけは強そうにしよう」と、「桜木健一のライバル」ということで、東映の企画部長だった渡邊亮徳が宮本武蔵のライバルである「佐々木小次郎」から「佐々木」の姓を採ってつけてくれた。名前の読みは「剛(ごう)」にしようとしたが、「同じ事務所に若林豪がいたため紛らわしいから」と、「たけし」の読みに決めた。

柔道初段、空手初段。左利き。 小さい頃は身体が弱く、学生時代には空手柔道キックボクシングなどに励んでいたが、左利きであることを負い目に感じていたという。ちなみに剣戟による殺陣は右利きのみで、左利きは通常ない。

1982年の自宅火事で重傷を負った際、当時の新聞記事には「仮面ライダー、脱出不能!!」などと面白おかしく見出しをつけられた。入院費は友人達が何とか工面してくれたものの、手術費の返済、火元であったため自宅アパートの修理費、妻や3人の子供たちの生活費のために警備員ちり紙交換、竿竹売り、石焼き芋屋などを掛け持ちし、一日16時間も働く毎日だったと語っている。しかし妻子とは別れることとなり、世の中のすべてから見放された気持だったという。この間は関係者とも連絡を断ち、結局父親の葬儀にも出られなかった。

「佐々木とは家族ぐるみで30年来の親友」という石橋正次の呼びかけで、1991年に舞台復帰した佐々木だが、石橋には「3日続くかよ」と言われたという。しかしたった10分の復帰舞台だったが、「芝居が出来る」という喜びに打ち震え、「俺はもう芝居さえしていればいいんだ」との心境に至ったという。

現在では長年の皮膚移植治療で顔の傷もかなり回復しており、本人は「おかげで本当に改造人間になってしまった気分」と語っている。また、「火傷による挫折と復帰で、それまでの自分を大いに反省した」と述懐している。

歌唱を得意としており、CD「石ノ森章太郎・男も泣けるTV主題歌集」(1998年)には佐々木の歌う『仮面ライダー』主題歌「レッツゴー!!ライダーキック」が収録されている。「好きな言葉」として、「我が幸福は今…夢の途上」と書き記している。






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