会試とは? わかりやすく解説

かい‐し〔クワイ‐〕【会試】

読み方:かいし

中国科挙試験の一。郷試(きょうし)に及第した挙人が都で受ける第2の試験合格する貢士となり、最終殿試(でんし)を受ける資格を得る。


会試

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/06 08:32 UTC 版)

会試(かいし、拼音:huìshì、満洲語ᠠᠴᠠᠯᠠᠮᡝ
ᠰᡳᠮᠨᡝᠮᠪᡳ
、acalame simnembi)は中国古代の科挙制度のうち、中央で行われる試験を指す。郷試の翌年、すなわちの年の春に礼部の主催で挙行された。そのため「礼闈」「春闈」とも呼ばれる。合格者を貢士、首席合格者を会元という。会試の後、貢士たちは皇帝が自ら行う殿試を受験し、最終的な順位が決定された。




「会試」の続きの解説一覧

会試(かいし)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 17:24 UTC 版)

彩雲国物語の用語」の記事における「会試(かいし)」の解説

国試試験一つで、実質的な最終試験。期間は7日受験資格のある者は挙子挙人呼ばれる不正防止の為、受験の際は特定の服装着替え個室内で受験する。これに受かれば及第した同然と言われている。会試を元にしている。

※この「会試(かいし)」の解説は、「彩雲国物語の用語」の解説の一部です。
「会試(かいし)」を含む「彩雲国物語の用語」の記事については、「彩雲国物語の用語」の概要を参照ください。


会試

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:00 UTC 版)

科挙」の記事における「会試」の解説

隋代からある試験区分貢挙とも呼ばれる郷試とならび重要な試験で、科挙試験中核を成す。挙人受験することができ、合格すれば貢士呼称を得る。貢士は、資格上は挙人同等清代末期における受験倍率は、100倍近くになることもあった。郷試翌年3月に、北京貢院にて実施され、頭場、二場、三場、の3回それぞれ2泊3日の期間で行われる唐代においては、続く試験殿試がなかったため、この会試に合格すれば直ち進士資格を得ることができた。また、清代においても、殿試はほぼ全員合格するのが慣例であったため、貢士呼称得た挙人早々に進士と呼ぶことさえあった。会試に合格した貢士のうち、成績一番目の者を会元(かいげん)、二番目の者を亜魁(あかい)、六番目の者を榜元(ぼうげん)、一番目から十八番目までの者を会魁(かいかい)、最下位の者を殿榜(でんぼう)、と呼んだ

※この「会試」の解説は、「科挙」の解説の一部です。
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