伊藤雋吉とは? わかりやすく解説

伊藤雋吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 04:47 UTC 版)

伊藤 雋吉(いとう しゅんきち[1][注釈 1]天保11年3月28日[1]1840年4月30日[2]) - 大正10年(1921年4月10日[1])は、日本海軍軍人茶人華族海軍次官貴族院議員海軍中将正二位[3]勲一等功三級男爵


  1. ^ 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』では「雋吉」の読みを「としよし」としている。
  2. ^ a b 1886年(明治19年)2月に設置された海軍省艦政局[7]、1889年(明治22年)3月に設置された海軍省第二局[7]は、いずれも海軍艦政本部の前身[8]
  3. ^ 海軍参謀部(明治22年3月設置)は、海軍軍令部(明治26年5月設置)の前身[4]。海軍軍令部長が天皇に直隷していた[5]のに対し、海軍参謀部長は海軍大臣の隷下であった[6]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 秦 2005, p. 183, 「伊藤雋吉」
  2. ^ カシオ計算機(株)高精度計算サイト「Keisan」 「和暦から西暦変換(年月日)」で換算。
  3. ^ a b c d e NO.42 「伊藤雋吉」顕彰の碑(宮津口) 【舞鶴の名所旧跡】”. 舞鶴市民新聞 (2015年10月1日). 2019年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年4月20日閲覧。
  4. ^ 秦 2005, p. 442, 「軍令部総長(海軍軍令部長)一覧」
  5. ^ 秦 2005, p. 522, 「明治26年5月 海軍軍令部の設置」
  6. ^ 秦 2005, p. 522, 「明治22年3月 参軍(ママ)参謀部条例の制定」
  7. ^ a b 秦 2005, pp. 515–516
  8. ^ 秦 2005, p. 441, 「艦政本部長(艦政局長)一覧」
  9. ^ 秦 2005, p. 434, 「海軍次官一覧」
  10. ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、278頁。ISBN 978-4-06-288001-5 
  11. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、10頁。
  12. ^ a b 阿川 1976, pp. 69–70
  13. ^ 先賢追慕会講話集 : 創立十五周年記念(国立国会図書館デジタルコレクション)』京都府立舞鶴中学校、1937年、30頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109343/23 
  14. ^ 甲1番大日記 式部寮達 赤塚真成外15名叙位の件」 アジア歴史資料センター Ref.C09111306600 
  15. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  16. ^ 『官報』第2187号「叙任及辞令」1890年10月11日。
  17. ^ 『官報』第2675号「叙任及辞令」1892年5月31日。
  18. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  19. ^ 『官報』第3862号・付録「辞令」1896年5月16日。
  20. ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
  21. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  22. ^ 『官報』第573号「賞勲叙任」1885年6月1日。
  23. ^ 『官報』第3686号「叙任及辞令」1895年10月10日。


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