伊藤宗看 (3代)
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三代伊藤宗看(さんだいいとうそうかん、1706年(宝永3年)-1761年6月2日(宝暦11年4月29日))は江戸時代の将棋指し。七世名人。将棋三家の一つである伊藤家当主。別名に政長、印寿。
- ^ 『象戯作物』序文を書いた林信充は、図式献上前の公命での名人襲位は三代宗看のみであるとする。
- ^ 門脇芳雄は、名人襲位前後に図式の創作を開始したのではないか、と推測している。
- ^ 対局日時は角落ち番は5月17日、香落ち番は6月2日で、既に元文年号に改元している。
- ^ 宗看に香落ち番で勝利した翌日に、八代宗桂と平手で対戦している。
- ^ この当時、弟に家督を相続させるためには弟を養嗣子とすること(これを順養子と呼ぶ)が必要であり、一般的に行われていた。例えば徳川綱吉は兄である徳川家綱の養子である。
- ^ 寛保2年(1742年)に宗看の自宅で四代宗与と左香落ちで対戦した棋譜が存在するが、御城将棋の内調譜とはみなされていないという。
- ^ 山本亨介は、継母との関係が悪く酒色に溺れていたのではないかとしている。
- 1 伊藤宗看 (3代)とは
- 2 伊藤宗看 (3代)の概要
- 3 象戯作物
- 4 参考資料
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