人文科学
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人文科学(じんぶんかがく、英語: cultural science〔文化科学〕[1], humanities[1], リベラルアーツ[2])は、正式には人文学(じんぶんがく、英語: humanities[3], arts[3] 中国語: 人文学科)であり、自然科学・社会科学という分類が先に確たる学問分野となったことで新たに作り出された、どちらにも属さない学問分野の総称[4]。
注釈
- ^ 2013年11月号の情報によると、「アメリカのハーバード大学で人文科学専攻の学生が急激に減っている。また、クーリエ・ジャポンの調査でどの学科専攻ならば大学4年間の学費と卒業後のリターンが得られるのか15位まで調査した。その1位が医学部卒業、2位がコンピュータシステム工学部卒、3位が薬学部卒。15位までをリストアップしたが、文系科学・社会科学系は13位の経済学のみである。この順位外の「就職には役に立たない」という枠外扱いがリベラルアーツ(学)だった。例えばアメリカのスタンフォード大学では、人文科学系の教員は全体の45%いるが、学生はわずか15%にまで下がっている。同国のハーバード大学でも1954年の36%から、2012年には20%まで人文科学系の学生割合が落ち込んだ。2010年には全米で人文科学系を卒業した人はわずか7%で、1966年から半減している。また、アメリカでは大学を卒業した学生の失業率は人文科学系の学生は自然科学系の2倍だった。志願者数の減少傾向から人文科学系学部の閉鎖や縮小が進んでいる。」[14]
出典
- ^ a b JST科学技術用語日英対訳辞書. “「人文科学」の英語・英語例文・英語表現 - Weblio和英辞書”. ejje.weblio.jp. Weblio英和辞書. GRASグループ株式会社. 2022年12月22日閲覧。 “cultural science; humanities”
- ^ 日本語WordNet(英和). “「人文科学」の英語・英語例文・英語表現”. ejje.weblio.jp. Weblio英和辞書. GRASグループ株式会社. 2022年12月22日閲覧。 “the humanities”
- ^ a b JMdict. “「人文学」の英語・英語例文・英語表現”. ejje.weblio.jp. Weblio和英辞書. GRASグループ株式会社. 2022年12月22日閲覧。 “humanities; arts”
- ^ a b c 岸本 美緖 編『宗教と学問』 11巻、弘文堂〈歴史学事典〉、2004年2月、382頁。ISBN 4-335-21041-8。OCLC 959681322。
- ^ "文化科学". 日本大百科全書(ニッポニカ). コトバンクより2023年1月24日閲覧。
- ^ "文化科学". 精選版 日本国語大辞典. コトバンクより2023年1月24日閲覧。
- ^ "文化科学". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2023年1月24日閲覧。
- ^ "文化科学". デジタル大辞泉. コトバンクより2023年1月24日閲覧。
- ^ "文化科学". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2023年1月24日閲覧。
- ^ "世界大百科事典内の文化科学の言及". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2023年1月24日閲覧。
- ^ “人文科学部”. 就実大学・就実短期大学. 学部学科の紹介. 就実大学・就実短期大学. 2023年1月25日閲覧。
- ^ 日本語教育ナビ (2022年6月30日). “【言語学】音声学と音韻論【日本語を基礎から、もう1度】”. 日本語教育ナビ. 2023年9月21日閲覧。
- ^ 人文学報第247~251号 p157,1994年
- ^ 「ハーバードの学生たちに広がる急激な文系離れの波紋」『クーリエジャポン』2013年11月号、講談社、2013年9月25日、43頁。ASIN B00F496G64。
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熊野三山を初めとする修験道の神社が山中にあり、熊野古道が通じている。これらは世界遺産に「高野山」「吉野・大峯」と合わせて「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録されている。 主な産業は林業と漁業。串本(串本町)・勝浦(那智勝浦町)・長島(紀北町)の遠洋漁業のほか、太地(太地町)の捕鯨でも知られる。
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民話では、かぐや姫や羽衣が有名である。 方言では、静岡辯の地域。 ヤマトタケル神話に因んだ地名が点在する。[例]日本平、草薙、焼津。
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エンセーテはほとんどの穀物よりも単位面積当たりにおいて大きな食料供給力を持つ。250から375平方メートルの畑に植えられた40本から60本のエンセーテは、一家の5人から6人の人間を養うのに充分な食料を供給する。エンセーテはエチオピアで最も重要な根茎作物であり、人口の多い南部及び南西部において古くから主食として利用されてきた。いつから栽培が始められたかについてはわかっていないが、南部の主要民族であるグラゲ人やシダモ人(英語版)の食文化や経済におけるエンセーテの重要性については、17世紀前半のイエズス会宣教師であるヘロニモ・ロボによってはじめて記録された。
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19世紀終盤にワビンザ人は、ニャムウェジ人と同化されないようにするために、川が自然に形成した砂洲を利用して、マラガラシ川の左岸で渡し舟を運営していた。これに加えて、マラガラシ川の右岸ではワンゴニ人が、同様に渡し舟を運営していた。 なお、この川の流域にもヨーロッパ人が来て「探検」を行い侵入し、植民地支配が実施された。参考までに、ヘンリー・モートン・スタンリーはキリスト教布教も含めて、ヨーロッパ諸国によるアフリカ植民地支配のための侵略の尖兵として、重要な役割を果たした人物の1人である。彼は、この川の流域のウビンザやウガラ(英語版)なども訪れた。 「タンガニーカ湖#歴史」も参照
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島々には推定1000人から3000人のモーケン人(サロン人)と呼ばれるマレー系の言語を話す少数民族が暮らしている。モーケン人の説くには、メルギー諸島は神話上の大洪水をうけて本土から切り離されたものという。モーケンの人々は海上に暮らし、何百年もの間受け継いできた漁撈や舟の建造などの伝統的な生活様式を踏襲している。乾季には彼らが船上に暮らす様子をみることができるが、雨季には多くの場合陸上に留まっている。しかし近年では、多くのモーケン人が家船での生活を諦め、定住的な生活へと移行してきている。また、諸島や沿岸域の人口はこれまで明らかになっていないものの、モーケン人よりも本土のビルマ人やカレン人の居住者のほうが人口の大勢を占めている可能性は高い。 クラ地峡の西縁にあたるミェイクは歴史的に、とりわけ18世紀にかけて東洋と西洋のあいだの交易拠点であり、モーケン人もかつてムスリム商人やマレー方面の中国系商人との交易を行っていた。諸島内の小島には、ムスリムの船員によって建立されたモスクも残されている。 メルギー諸島の位置するタニンダーリ地方域は、ビルマ内戦(英語版)のさなかに甚大な攻撃を受けた地域である。メルギー諸島への攻撃は多くの場合住民を狙ったもので、風光明媚なクリスティー島での漁民や島民の虐殺を伴うものであった。2004年スマトラ沖地震でも、津波によってランピ島付近で200人以上のモーケン人の死者が出ている。 この地域は第二次大戦後、ビルマ政府によって軍事的な観点から立ち入りを禁止されていたが、ミャンマー当局とプーケットの旅行代理店との交渉を経て、1997年に初めて外国人観光客に開放された。アンダマンクラブが現在タテー島(英語版)で5つ星のカジノとゴルフリゾートを運営している。また、南洋真珠を産するシロチョウガイ(英語版)の棲息地として知られ、1954年に日本の真珠加工販売会社ミキモトが養殖場を開設したことから真珠産業が成長した。同じく日本のTASAKIも、1997年からドーメル(レッスッエ)島で、さらに2017年からシスター島で、南洋真珠養殖事業を運営している。
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砂漠の大部分は農耕が不可能であり、大部分は人類が定住することが不可能な地域となっているが、古来よりオアシスに農耕民が定住し、ナツメヤシなどの栽培を行い生計を立てていた。こうしたオアシスにおいては、しばしばフォガラやカナートといった地下水路が建設され、オアシスにまで水を引き込んでいた。こうしたオアシス農業はしばしば多くの人口を支えるに十分なものとなり、オアシス都市を形成する基盤となった。こうした砂漠定住民の伝統的生活様式は、たとえば家屋においては雨がほとんど降らず排水の必要がないため屋根が平らであり、また外気を遮り直射日光を避けるために窓が非常に小さく、そして多くが日干し煉瓦を用いて作られていたり、また衣服においては直射日光や砂塵から身を守るために、ゆったりとした衣服で全身を覆い露出部分を非常に小さくするなど、砂漠の気候に適応したものとなっていた。 こうしたオアシス定住民のほかに、旧大陸の各地の砂漠には遊牧民が存在していた。砂漠の有用性が飛躍的に向上したのは、ラクダを家畜化することに成功したのちのことである。ラクダは乾燥地に適応した家畜であり、肉や乳を食用とすることもでき、ラクダ乳はしばしば遊牧民の主食ともなっていたが、もっとも有用性を発揮したのは運輸の分野においてである。ラクダは荷役動物として使用することが可能であり、ラクダを使用することでそれまで不可能であった砂漠越えの交易が可能になった。これによりオアシス都市をつなぎながらタクラマカン砂漠を越える東西交易のメインルート、いわゆるシルクロードが使用可能となり、大航海時代の到来まで東西交易の柱となっていた。こうした交易の利益によって、オアシス都市はしばしば小規模な都市国家(オアシス国家)を形成した。また、3世紀にはサハラ砂漠にもラクダが伝来し、これによってサハラ砂漠を南北に越える商業ルートの開設が可能となり、サハラ交易が開始された。このサハラ交易は北の塩と南の金の交易を柱とするものであり、この交易の生む富によってサハラの南に位置するサヘル地帯には、ガーナ王国やマリ王国、ソンガイ王国、カネム・ボルヌ帝国といった大規模領域国家が成立することとなった。 砂漠にも、オアシスや海岸を中心として大都市が形成されることがある。ナイル川沿いに位置するカイロや、アラビア湾岸に位置するドバイなどがその例である。海岸部の砂漠、特に資金と燃料に恵まれるペルシャ湾岸諸国においては海水の淡水化によって豊富な生活用水が確保され、ドバイのほかにも大都市が形成されるようになっている。また、砂漠は水の供給の問題さえ解決できれば、日照にも恵まれ必ずしも住みにくい場所ではないところも多く、アメリカのラスベガスのようにコロラド川からの引水によって大観光都市に成長したところも存在する。アメリカでは、ほかにアリゾナ州のフェニックスなども快適な気候とエレクトロニクス工業の発展によって移住者を集め、第二次世界大戦後に急速に発展した都市であり、フェニックスのみならずメサやグレンデールといった近郊都市にまで発展は拡大している。 また、砂漠は日照に恵まれるため、水さえ確保できれば農業の好適地になりうる。このため、アメリカの半砂漠やサウジアラビアなどアラビア半島の産油国では、地下水をくみ上げスプリンクラーでセンターピボット農法を行ったり、あるいは海水を淡水化した水を使って大農園を作るなどして砂漠の農地化が行われている。ただしこうした大規模な灌漑農業の場合、砂漠では土地の塩性化が起こりやすく、これを防ぐために排水路を設けたうえで塩性の低い水を土の上にかけ、塩分を流し去ることなどが行われる。ただし、この塩性化管理はかなり精密なコントロールが必要なものであり、無秩序な灌漑を繰り返した場合、塩害が非常に深刻なものとなって耕作地を放棄せざるを得ない場合も多い。砂漠地下水は化石水が多く新規供給がほとんどないため、大量に使用した場合、地下水位の大幅な低下や、最悪の場合、枯渇を招くこともある。リビアにおいてはサハラ砂漠中に眠る化石水をくみ上げ、トリポリやベンガジといった海岸部の大都市や農園地帯に水を供給するリビア大人工河川というプロジェクトが実行され、一部供用されているものの、こうした化石水は現在の気候状況下においては補充が不可能なものであり、枯渇の危険性が懸念されている。 また、これとはまったく別個の発想で、農園に張りめぐらせたホースのところどころに穴をあけ、必要最小限の水だけを植物に与える点滴農法と呼ばれる農法も存在する。この農法は水資源が非常に少なくても実行でき、霧の発生する海岸砂漠では除湿機を設置するだけである程度必要量の水が確保できるうえ、水分が最小限で済むためほぼ土地の塩性化が起こらないなどの利点が存在するが、一方で非常に手間がかかり、維持管理コストが高くなるという問題点もあるため、さほど一般的な農法とはなっていない。 このほか砂漠に居住地が形成される例として、砂漠に眠る資源が採掘され鉱山が形成される場合がある。アルジェリアのハシメサウド油田やサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタールなど、砂漠に油田を持つ国は数多い。このほか、モーリタニアのズエラット鉄鉱山やオーストラリアのマウントニューマン鉄鉱山、チリのチュキカマタ銅鉱山、ニジェールのアーリットウラン鉱山などのように、人里離れた砂漠の真ん中に鉱山町が形成されているケースも多い。こうした場合、鉱山運営や労働者の生活に必要な水は遠隔地から運搬する必要があるが、チリやオーストラリアなどでパイプラインによって水を運ぶ場合、導水管が数百キロに及ぶこともある。砂漠の鉱物資源として近年注目されつつあるのが、塩湖に堆積した各種資源である。特にリチウムイオン電池などで急速に需要の増大しているリチウムは塩湖において濃縮しやすく、可採埋蔵量の大半が砂漠塩湖に存在する。中でも、もっとも莫大な埋蔵量を持つのがボリビアのウユニ塩湖であるが、この採掘によって生態系や観光産業への悪影響も懸念されている。 砂漠はその独特の自然環境から、観光地としても一定の人気を有する。砂丘やオアシスなどの美しい自然を眺めるほか、ボリビアのウユニ塩湖のような塩湖・塩原も白く輝く景色が人気を集めている。こうした通常の観光のほか、砂漠を四輪駆動車などで疾走するオフロードツーリングも人気が高いが、こうしたオフロードツーリングは地表面を覆っていた地衣類や酸化鉄などによる地表被膜をはがし、ダストの原因となるとの指摘もある。このほか特殊な利用法として、天体観測地としての利用法がある。砂漠は年間を通じて晴天に恵まれ、さらに海岸砂漠を除いては赤外線を吸収する水蒸気が非常に少ないうえ、人間活動が少ないため電波干渉なども起こりづらく、天体観測地としては非常な好適地となっている。こうした天体観測地としての利用がもっとも多いのはチリのアタカマ砂漠であり、 アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計(ALMA)、ヨーロッパ南天天文台のパラナル天文台、ラ・シヤ天文台、ラスカンパナス天文台にある日本のなんてんやマゼラン望遠鏡、ASTE望遠鏡など多数の天体望遠鏡や天文台が集積し、地上における天体観測のメッカとなっている。このほか、ナミビアのナミブ砂漠にはこの美しい星空を求めて観光客が訪れるようになっている。 このほか、21世紀に入り注目されるようになった利用法として、太陽光発電が挙げられる。砂漠はほとんど降雨がなく、一年中晴天に恵まれるために利用できる太陽光エネルギーが非常に大きく、このため大規模な太陽光発電所を砂漠に設置して大量の電力を供給する計画が各所で構想されている。しかし太陽光発電はパネルの寿命や発電効率などに問題があるため、それに代わって太陽光をレンズや反射鏡を用いた太陽炉で集光することでタービンを回し汽力発電の熱源として利用する、いわゆる太陽熱発電(集光型太陽熱発電)が2010年代に入り注目を浴びるようになってきた。特に注目されているのは電力の大消費地たるヨーロッパ大陸に近いサハラ砂漠であり、中でもモロッコがこの事業には積極的である。2016年2月4日には、モロッコ南部の都市ワルザザート近郊にて160メガワットの発電量を持つヌール1発電所が完成し、操業を開始した。このほか、アメリカやインドのラジャスタン州やパキスタン、イスラエルのネゲブ砂漠などで砂漠における太陽光・太陽熱発電計画は進んでいるが、鳥などの野生生物に与える被害や当初予定よりコストが高額になるなど問題点も多い。
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カリブ海沿岸には多くの人々が住むが、人口分布には濃淡がある。南アメリカ大陸にはコロンビアのカルタヘナ、バランキージャ、サンタ・マルタ、ベネズエラのマラカイボや、沿岸都市ではないものの首都カラカスなどの大都市が点在し人口も多い。小アンティル諸島や西インド諸島も、小島が多いものの人口は稠密である。ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴや、ジャマイカの首都キングストンなどの大都市もある。これに比べ、カリブ海西岸に当たる中央アメリカ沿岸部には熱帯雨林が広がり、開発がほとんど進んでいないため人口も少ない。沿岸各国はそれぞれカリブ海に輸出港を構えており、パナマのコロン市、コスタリカのリモン、ホンジュラスのプエルト・コルテス、グアテマラのプエルト・バリオス、ベリーズのベリーズシティなどの都市はあるが、コロン市を除きどの都市も人口10万を超えることはなく、比較的小規模な都市が多い。このほか、ホンジュラスのカリブ沿岸は平地が多く20世紀に入ってから急速にバナナなどのプランテーションが開発され、バナナ産業を基盤とするホンジュラスのラ・セイバなどの小都市が成立しているものの、中央アメリカ諸国の中心は太平洋側の中央高原にある。 カリブ海沿岸地域の民族・言語構成は多様である。民族的には沿岸人口の多くは16世紀以降に移民してきたスペイン人や、彼らと先住民たちの間の混血が多数派を占めている。小アンティル諸島やハイチにおいては、奴隷としてアフリカから17世紀以降につれてこられた黒人の子孫が多数派を占める。先住のインディオ達はほとんどおらず、各地の辺境にわずかに残るのみとなっている。混血していないカリブ族はわずかに残っているが、多くは黒人と混血し、ブラック・カリブ、またはガリフナと呼ばれる一つの民族を形成した。また、19世紀以降サトウキビプランテーションの労働者として連れてこられたインド人たちも沿岸諸国に多数定着しており、ヒンドゥー教やイスラム教を守り独自の文化を保ち続けている。沿岸部の宗教は、ほぼ旧宗主国に準じており、大陸部においてはローマ・カトリックが圧倒的であるが、小アンティルなどプロテスタントの信仰が強い地域も存在する。 最も多く使用される言葉はスペイン語で、南北アメリカ大陸、およびキューバやドミニカ共和国など、沿岸地域の大国のほとんどはスペイン語圏である。それに対し、とくに小アンティル諸島の言語構成は複雑であり、英語、フランス語、オランダ語など旧宗主国の言語圏が島ごとに細かく分かれている。大陸部でもベリーズは英語圏である。こうしたことからカリブ海域、とくに小アンティル諸島やジャマイカなどはラテンアメリカとは厳密には呼べない。これを考慮して1948年に国際連合の下部組織として設置された国連ラテンアメリカ経済委員会が、1984年に国連ラテンアメリカ・カリブ経済委員会に改称されたように、カリブ海諸国の独自性を考慮した動きもある。旧宗主国の公用語とは別に、ハイチのハイチ語やカリブ海各地のガリフナたちのガリフナ語、ABC諸島におけるパピアメント語といったクレオール言語も各地に存在する。 カリブ海沿岸の17の英語圏諸国は、共同で西インド諸島大学を設立している。
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ファントムタイム仮説 - 歴史に関する陰謀論の一つ。 このページは曖昧さ回避のためのページです。一つの語句が複数の意味・職能を有する場合の水先案内のために、異なる用法を一覧にしてあります。お探しの用語に一番近い記事を選んで下さい。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えて下さい。
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ヴィクトリア湖周辺は、とくに北部に肥沃な平原が広がっており、南部にも平原が、東部と西部は丘陵に囲まれているが、総じてなだらかな地形であるといえる。また、周辺には山岳地帯が多く降水量が多い地帯であることに加え、ヴィクトリア湖から蒸発した水蒸気が雨をもたらすため、湖周辺は年間降水量が1200mmを超え、農耕に適している。そのため、ヴィクトリア湖岸地域は東アフリカ有数の人口密集地となっており、人口密度は2010年には1km2あたり200人を突破し、なおも増え続けている。5カ国にまたがる集水域の人口は2500万人にのぼる。湖岸には、最大都市である北岸のウガンダ首都カンパラを始め、北岸ウガンダのエンテベやジンジャ、東岸ケニアのキスム、南岸タンザニアのムワンザやブコバなどの大都市が点在している。周辺では、とくに輸出用作物として綿花やコーヒー、サトウキビ、東岸のケニア領の茶、自給用作物として特に北岸や西岸ではバナナ、全域でトウモロコシやソルガムなどが栽培されている。民族としては、ウガンダに属する北西岸のアンコーレ人、北岸のガンダ人、その東のソガ人、ケニアに属する北東岸のルオ人やルヒヤ人、カレンジン人、タンザニアに属する南岸のスクマ人やニャムウェジ人、西岸のハヤ人などが大きな民族グループである。ジンジャにあるオーエン・フォールズ・ダムは1952年に建設されたもので、この地域最大のダムであり、ケニアへと電力を輸出している。また、このダムの電力によってジンジャは長くウガンダ最大の工業都市となり、繊維産業や製糖業が発達した。また、南岸のムワンザは綿花栽培地帯の中心地であり、綿織物工業などが立地している。
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北アメリカは大きく分けて、北部と南部とに大別される。北部はアメリカ合衆国とカナダからなり、イギリス系移民を中心として開拓された国家であるためアングロアメリカと呼ばれる。これに対し、メキシコ以南の大陸南部やキューバは旧スペイン領であり、同じく旧スペイン・ポルトガル領だった南アメリカ大陸の諸国と合わせてラテンアメリカとよばれる。中央アメリカのベリーズや、カリブ海に浮かぶ諸国はイギリスなどほかの国の植民地から独立した国が多く厳密にはラテンアメリカには含まれないが、アングロアメリカの2国とも経済や文化面で差異が大きく、このためカリブ海諸国として一定のまとまりをもったうえで、ラテンアメリカ諸国と一括して扱われることが多い。 言語的にはインド・ヨーロッパ語族に属する話者が圧倒的に多く、先住のインディアンの話すアメリカ先住民諸語を話すものはわずかである。インド・ヨーロッパ語族のうち、アングロアメリカに属する北部のカナダとアメリカにおいては英語が公用語であり、日常生活においても圧倒的に使用される言語である。ただしこの両国は移民が多く、移民コミュニティの中においてはその移民の母国語が使用されることは珍しくない。また、カナダ東部のケベック州はフランス領のヌーベルフランス植民地の中心地としてフランス系移民が多数を占めていたことから、現代においてもフランス語が主に使用されているアングロアメリカで唯一の地域であり、ケベック最大の都市であるモントリオールはパリやブリュッセルに次ぐフランス語圏有数の都市となっている。中央アメリカ大陸部においては、旧イギリス領だったベリーズを除きすべての国がスペイン語を公用語としている。カリブ海地域は各国の植民地が入り乱れた地域であり、キューバやドミニカ共和国を中心としたスペイン語、ジャマイカやバハマ、小アンティル諸島の半分の国々で話される英語、その他宗主国によってフランス語やオランダ語などが使用される。 民族的には、アメリカおよびカナダにおいてはイギリス系が本来の主流であったが、ヨーロッパを中心に世界各国からの移民が長期にわたり押し寄せたことから、かなりの混淆が進んでいる。先住のインディアンはアメリカやカナダの各地に居留地を保有するが、人口的にはわずかな割合を占めるに過ぎない。また、アメリカの特に南部においてはヒスパニック系、および黒人の割合が高い。カナダはアメリカと同じくイギリス系を中心とした人々が大多数を占めるが、ケベック州だけはフランス系が大半を占めている。ケベック州は人口も多くよく開発された州であり、また英語を主とするカナダの他州との対立からケベック・ナショナリズムが盛んで独立運動がくすぶっており、過去数度独立を問う住民投票が行われたがいずれも否定された。中央アメリカにおいては、白人とインディオの混血であるメスティーソが多くの国で人口の過半を占める。インディオも、過去に大文明を築き上げていた中央アメリカの大陸部においては特に人口が多く、アングロアメリカよりもかなり多くのインディオが居住している。また、黒人は中央アメリカ大陸部にはあまり居住していないが、過去にサトウキビのプランテーションを運営するため大量に移住させられたカリブ海域においてはかなり多く、ハイチやジャマイカ、小アンティル諸島の多くの国のように、黒人が多数派を占めている国家も存在する。 北アメリカ大陸の中央部を占めるアメリカ合衆国は世界最大の大国であり、その北のカナダも産業的によく開発された豊かな国である。一方その南の中央アメリカやカリブ海諸国は、産業開発が進んでおらず貧しい国が大半である。
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人文
「 人文」の例文・使い方・用例・文例
- 人文地理学
- 社会人文科学
- 歴史学は人文科学の一部門である。
- 彼は人文学の権威だ。
- 哲学研究は人文科学の1つだ。
- 哲学の研究は人文学に属する。
- 19世紀は白人文明の時代だった。
- 人文学科目.
- 人文科学の成績が優秀で賞を受ける.
- 人文[歴史, 経済]地理学.
- 人文学科.
- スタンドの学生が TOKYO と人文字を書いた.
- 人文地理
- 応用人文科学の技術と特殊知識に特徴のあるまたはそれらを示す
- 人文主義的な価値と人間の福祉への献身で特徴付けられる
- 人文主義的伝統の造形芸術−ハーバート・リード
- 人文主義れきな研究
- 継続する新生の進化への人文主義的信念―ウェンデル・トーマス
- 人文と科学の大学
- 文学の人文主義的な研究
人・文と同じ種類の言葉
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