井戸平左衛門とは? わかりやすく解説

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井戸正明

(井戸平左衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/28 08:38 UTC 版)

井戸 正明(いど まさあきら、寛文12年(1672年) - 享保18年5月26日1733年7月7日)は、江戸時代中期の幕臣、大森代官、笠岡代官。享保の大飢饉の際に石見銀山領を中心とする窮民救済のため数々の施策を講じた。なお、その名については「正明」とする文献が多いが、「正朋」とする文献もあり一致していない(なお、この点につき昭和47年版の島根県編『島根県誌』第8巻661頁では享保18年の遺言状などを根拠に「正朋」が正しいとしている)。石見地方などでは通称の「平左衛門」のほうが一般的であり、今日でも正明は「芋代官」あるいは「芋殿様」と呼ばれ慕われている。


  1. ^ 広島県庄原市高町の庄屋の生まれ。享保18年(1733年)4月23日、徒目付として幕臣に取り立てられ江戸にて勤め、のち帰郷。
  2. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.27


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井戸平左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 02:16 UTC 版)

石見銀山」の記事における「井戸平左衛門」の解説

1731年享保16年)、大岡忠相推挙により任ぜられた第十九代代官、井戸平左衛門正明(いどへいざえもんまさあきら)は、60歳高齢2年というの短い任期にもかかわらず領民から「いも代官」として慕われ現在の島根県だけでなく鳥取県広島県にも功績称える多く頌徳碑建てられている。井戸享保の大飢饉苦し領民のため、他の地域先駆けて薩摩国から甘藷サツマイモ)を導入して普及させ、自らの財産裕福な農民から募った寄付で米を買い、幕府許可得ぬまま代官所米蔵開いて与えたり年貢免除減免した後年備中国笠岡没した原因として病死説と切腹説があり、前者概ね定説となっているが論議続いている)。 1977年昭和52年)には杉本苑子井戸題材にした小説終焉』を発表している。

※この「井戸平左衛門」の解説は、「石見銀山」の解説の一部です。
「井戸平左衛門」を含む「石見銀山」の記事については、「石見銀山」の概要を参照ください。

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