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乙支文徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/08 09:02 UTC 版)
乙支文徳(いつし ぶんとく、6世紀後半ころ - 7世紀初頭ころ)は、高句麗の将軍であり大臣。『三国史記』巻44・乙支文徳伝においては世系は不明とあるが、北朝鮮の平安道地方には「乙支文徳はソクダ山の者で、山に入り道を極め、悟りを開いた」という伝説が残っており、このことから北朝鮮の首都平壌近くの出身という推測もある[1]。沈着にして精悍な資質と、知略に優れ、文章を能くしたとする。[要出典]隋の第二次高句麗遠征(612年)(麗隋戦争)において、隋軍に偽りの降伏を申し入れ撤退を開始した隋軍に追い討ちをかけ大勝利を収めた。その功績は高く評価されてはいるが、戦後の文徳の動向は『三国史記』には記事が残っておらず、死の状況についても詳細は解らない。
- ^ KBS WORLD - 乙支文徳
- ^ このときの9軍は、『三国史記』高句麗本紀には宇文述・于仲文のほかに、荊元恒、薛世雄、辛世雄、張瑾、趙孝才、崔弘昇、衛文昇によるものとする。
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