久米官衙遺跡群 久米官衙遺跡 来住廃寺跡とは? わかりやすく解説

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久米官衙遺跡群 久米官衙遺跡 来住廃寺跡

名称: 久米官衙遺跡群 久米官衙遺跡 来住廃寺跡
ふりがな くめかんがいせきぐん くめかんがいせき きしはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 愛媛県
市区町村 松山市来住町
管理団体 松山市
指定年月日 1979.04.21(昭和54.04.21)
指定基準 史2,史3
特別指定年月日
追加指定年月日 平成17.07.14
解説文: 来住廃寺跡は、愛媛県中部松山平野東部来住台地立地し白鳳期造営され古代寺院跡として昭和54年史跡指定された。塔基壇高まり礎石石製露盤残されている。その後周辺では宅地開発急速に進行し、それに伴う発掘調査により、来住廃寺先行する回廊状遺構」など7世紀代の遺構群が発見され注目集めてきた。そのため、各遺構保護を図るとともに内容確認発掘調査継続して行われてきた。その結果周辺台地上には飛鳥時代から平安時代に至る官衙関連遺跡広範に展開することが明らかとなった
 官衙関連遺跡東西500m南北400m範囲広がる。このなかに「回廊状遺構」、「回廊状遺構北側区画」、「正倉遺構」、「官衙政庁施設」などの遺構分布する回廊状遺構は方約1町の大きさで、二列のからなる回廊状遺構とその外側の溝により区画される。南辺中央に八脚門が取付き回廊内部中央北側には、中心的な施設想定される梁間3間の大型東西建物配置される回廊内からは7世紀中葉比定される単弁蓮華文軒丸瓦出土しており、瓦葺建物存在想定される回廊状遺構北側には幅3m空閑地隔てて方約1町の溝で区画され回廊状遺構北側区画称される施設がある。その区画南西隅には5棟の掘立柱建物南北に並ぶ。正倉遺構回廊状遺構北西位置する7世紀中葉ころに創建され、8世紀前半ころに拡張されている。当初は溝と掘立柱塀により区画されその後南側に約30m拡張され、溝により南北140m、東西125mの方形区画される。内部には総柱建物大型掘立柱建物があり、郡衙正倉推定される官衙政庁施設回廊状遺構北方正倉遺構の東に位置し長大建物区画され施設掘立柱塀により区画され施設がある。前者長大掘立柱建物に塀が取付いて方形区画をなし、その成立7世紀中葉以前さかのぼ可能性指摘されている。後者南北約44m、東西40m以上の区画で、多数掘立柱建物みられるコの字型建物配置ではない。
 これらの成果から、7世紀中葉ころには長大建物区画回廊状遺構回廊状遺構北側区画造営され、これらの基準線となる1町方格の地割施行されたと考えられる遺跡群北西部からは「久米評」銘の須恵器出土しており、この遺跡郡衙先行する前身久米評衙などの初期官衙関連する遺跡を含むものと推定される回廊状遺構廃絶後には来住廃寺整備され8世紀代に至り正倉拡充された。このように、本遺跡群律令体制成立期前後から確立期に至る地方官衙のあり方具体的に示す貴重な遺跡群である。よって、来住廃寺跡追加するとともに名称変更行い保護図ろうとするものである
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