中沢彦吉 なかざわ ひこきち
東京京橋生まれ。実業家。家は酒醤油問屋。漢学を土井牙に、洋学を箕作麟祥に学び、慶応義塾に入り経済学を研究する。八十四銀行、横浜電気鉄道、日本窯業、東京硫酸などの取締役となる。また、明治25年(1892)衆議院議員に当選、東京市会議員、市会議長もつとめた。
キーワード | 実業家, 政治家 |
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- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 帝国議会第五回議会ニ於テ衆議院解散ノ後選挙区内ノ諸君ニ報告スル趣旨 / 中沢彦吉著 中沢彦吉, 明27.2 <YDM28762>
- 明治新撰泉譜別集 / 中沢彦吉(蘭谷)編 〔出版者不明〕, 明32.1 <YDM76251>
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中沢彦吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/08 06:10 UTC 版)
中沢 彦吉(なかざわ ひこきち、天保10年2月27日(1839年4月10日) - 明治45年(1912年)5月6日)は、幕末・明治時代の政治家、実業家。衆議院議員、東京市会議長等を歴任。中沢銀行と八十四銀行を創立した。従六位。号は蘭谷。
- ^ 『近代日本流通史』 石井寛治 東京堂出版 2005年 283P
- ^ 後に、「奴利屋」は菊地長四郎(貴族院多額納税者議員)の手に移っている。
- ^ 『日本橋:東京の経済史』 日本経済新聞社 1966年 220P
- ^ 時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家 時事新報 1916.3.29-1916.10.6(大正5)、神戸大学新聞記事文庫
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