不買同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:19 UTC 版)
ラサ島からのリン鉱石の輸送が始まると恒藤は更なる難問に見舞われた。肥料会社各社はラサ島のリン鉱石を購入しない「不買同盟」を結んだのである。不買同盟が結ばれた理由としては、まず当時リン鉱石は三井物産が独占輸入して供給しており、ラサ島のリン鉱石がおいそれと新規参入出来る情勢では無かったことが挙げられる。またラサ島のリン鉱石にも問題はあった。リン酸の含有量は十分で、フッ素もほとんど含まれていないものの、鉄礬土の含有量がクリスマス島やオーシャン島のリン鉱石よりも多いことが問題視された。また果たしてラサ島からリン鉱石が安定供給され続けるのかについても疑問視する意見も多かった。 不買同盟に直面して鉱石が売れず、窮地に陥った恒藤は2つの対策を実行に移した。まず恒藤自らの案内による肥料会社の技師と第三者の専門家によるラサ島の視察を行った。肥料会社と専門家がラサ島のリン鉱石に価値があると認めてもらえれば活路が開けると考えたのである。実際、視察に同行した専門家はラサ島のリン鉱石資源を高く評価した。しかし各肥料会社の技師が視察したのにも関わらず、不買同盟には変化が見られなかった。そうこうするうちに1912年の9月には立て続けに3つの台風に襲われ、多くの施設が破壊されて会社は存続の危機に立たされた。 恒藤は視察計画を進めながらも、もうひとつの事態打開策について検討をしていた。ラサ島燐礦合資会社が肥料製造業に参入し、ラサ島のリン鉱石を原料としてリン酸肥料を製造、販売する計画である。視察の効果が見られない状況で、1911年8月に恒藤やラサ島燐礦合資会社の関係者は残余の資産を費やして肥料工場の建設に着手した。このリン鉱石採掘から肥料製造、販売まで一貫してラサ島燐礦合資会社が行う構想は、肥料会社各社に大きな衝撃を与えた。10月には肥料会社2社との鉱石販売契約の締結に漕ぎつけ、その後も肥料会社各社との契約が相次ぎ、会社は危機を脱した。
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