上野直勝とは? わかりやすく解説

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上野直勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/19 16:13 UTC 版)

上野 直勝(うえの ただかつ、生没年不詳)は、南北朝時代武将本姓源氏家系清和源氏の一家系河内源氏の流れを汲む足利氏の支流上野氏である。通称は上野太郎二郎。官職は掃部助左京亮。直勝と同一人物とされる上野氏勝(うじかつ)についても本項で扱う。


  1. ^ 同月付「大原小佐治兵衛三郎国氏子息法師丸軍忠状」(『近江小佐治文書』、『大日本史料』6-14 P.58-59・102)。
  2. ^ a b c d e f g h 阪田、1994年、P.6。
  3. ^ 阪田、1994年、P.6。同文書には「…自最初依有御方之志、一族相共申賜御教書、参石川刻、為江州之大将、御進発…」と記されている(『大日本史料』6-14 P.58)。
  4. ^ 阪田、1994年、P.6。典拠は『園太暦』同日条(デジタル196頁目/『大日本史料』6-14 P.77)。
  5. ^ 『園太暦』同日条(デジタル197頁目/『大日本史料』6-14 P.77-78)、『祇園執行日記』同日条(『大日本史料』6-14 P.78)。
  6. ^ 『園太暦』同月11-12日条(『大日本史料』6-14 P.103)。
  7. ^ 同月付「大原小佐治兵衛三郎国氏子息法師丸軍忠状」(『近江小佐治文書』、『大日本史料』6-14 P.102)。
  8. ^ 『近江小佐治文書』、『大日本史料』6-14 P.102。
  9. ^ 『近江小佐治文書』、『大日本史料』6-14 P.121。
  10. ^ 阪田、1994年、P.6。典拠は『園太暦』観応2年4月17日条(デジタル231頁目/『大日本史料』6-14 P.958・960)。『結城文書』にも同様の記載が見られる(『大日本史料』6-14 P.961)。
  11. ^ 阪田、1994年、P.5。典拠は『観応二年日次記』。
  12. ^ 『近江小佐治文書』、『大日本史料』6-15 P.269・503、『南北朝遺文』関東編3 P.239 2065号。
  13. ^ 阪田、1994年、P.6。 『大日本史料』や『南北朝遺文』でも「上野左京亮」=直勝としている。
  14. ^ 一方「直勝」の名は、観応元年12月12日付の小佐治基氏に対しての感状にある「直勝(花押)」(『近江小佐治文書』、『大日本史料』6-14 P.103)と、観応2年4月17日の段階で掃部助に任ぜられた「源直勝」(『園太暦』同日条および『結城文書』、『大日本史料』6-14 P.958・960)で確認することができる。その他の史料については花押や活動の一致により直勝関連のものと判断されたものである。直勝の花押については『花押かがみ6 南北朝時代二』(東京大学史料編纂所編、吉川弘文館、2004年)を参照のこと。
  15. ^ 小佐治氏については武家家伝_甲賀佐治氏(外部リンク)を参照のこと。


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