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三菱・ランサーWRC
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/08/01 15:27 UTC 版)
ランサーWRC(ランサーダブリューアールシー、Mitsubishi Lancer Worldrallycar)は、三菱自動車が世界ラリー選手権(WRC)に出場するために製作した競技専用車である。
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登場の背景
1993年からWRCに投入された一連のランサー・エボリューションシリーズ(通称:ランエボ)は、三菱が先陣をつけて開発したアクティブ・デファレンシャルとトミ・マキネンとのドライブによる相乗効果によって大成功をおさめた。
しかし、1997年からFIAが導入したワールドラリーカー規定によって登場したライバルのワールドラリーカー群が広い改造範囲を武器に戦力を上げてくるにつれ、ランサーエボリューションもニューモデルごとに施す改良のレベルでは対抗することが出来なくなり、ついに三菱は2001年にワールドラリーカーへ移行することを決断。その特例措置でストロークを増大したリアサスペンションと軽量フライホイールを投入したランエボⅥトミ・マキネンエディション(通称:エボ6.5)で前半戦を戦い、その年の後半戦サンレモで、ランエボのイメージを持たせた待望のワールドラリーカー、ランサー・エボリューションWRCを投入した。
しかしながら、開発を担うベルナール・リンダウアー率いるラリーアート・ヨーロッパ(RAE)の開発陣の慢性的な人員不足により思うように開発が進まなかったことに加え、実践でもマキネンを持ってしてもグループA時代のような速さの再来は適わず低迷。翌2002年も中盤のフィンランドで改良版のランエボWRC2を投入するものの、先代マシンで悩まされたコーナー進入時の過大なアンダーステアと、慢性的なトラクション不足は変わらず、凹凸が少なくクリアな路面のニュージーランドでヤニ・パーソネンが一時トップ5に絡む走りを見せたが、大半のラリーでは下位チームとトップ10争いをするのがやっとであった。この状況を打破するために、三菱は2003年のWRC活動休止を発表。新しいマシン開発に専念し、そうして生まれたのがランサーWRCであった。
概要
従来のグループAの名残が残っていたランサー・エボリューションWRCの開発路線を完全に払拭し、ボディは同じランサーベースながら、ライバルと同じように、サスストロークをより良く獲るためにホイールハウスを拡大。先代マシンの欠点であった路面への追従性をより引き上げた。外観はより大きなスポイラーをリアに設け、フロントもオリビエ・ブーレイがデザインする以前のランサー・セディアをベースにしたものにかわり、全体的により精悍さが増したものとなった。マシン開発はこの年から新たなチーフエンジニアとして迎え入れられ、プジョー時代に206WRC開発に携わっていたマリオ・フォルナリスが行った。
エンジン・ギアボックス
パワートレーンは名機4G63ユニットを引き続き使用するものの、長年に渡って三菱のWRCエンジン開発を手がけているHKSによって新たにモディファイを加えられたほか、グループA時代を通じての悩みであったフロントヘビーを抑えるため、エンジンはワールドラリーカー規定一杯に後方に傾けて搭載された。ギアボックスはパリダカで実績のあるイギリスのリカルド社製を採用した。
駆動系
グループA時代から走りを支えてきたアクティブ・デフは、開発時間の制約上、新たに開発出来なかったことから、2004年モデルはフロント、センター、リヤともに機械式が採用されたが、2005年モデルはセンターのみアクティブ・デフが投入された。
WRCでの活躍
こうして生まれたマシンは2003年の12月にシェイクダウンされ、2004年度の開幕戦に備えた。
2004年、チームは三菱のモータースポーツ全般を担うラリーアートによる組織編成で従来のRAEに代わって2003年に誕生したMMSP(三菱自動車モータースポーツ)が運営し、ドライバーもエースにジル・パニッツィを迎え、緒戦のモンテカルロに挑んだ。ラリーはニューマシン特有のマイナートラブルに悩まされたものの、パニッツィの堅実な走りで総合6位に入る上々の滑り出しを飾ったものの、その後もチームの人員不足によって、信頼性はおろか、開発も進まず、中盤のラリージャパンを前に再び、三菱は再びWRC休止を発表。その間、行われた開発によって、再び登場した終盤戦のカタルニアでは開幕戦以来のトップ5入賞を果たした。
前マシンの反省から、2005年仕様のマシンは信頼性に重きを置いた開発が行われたが、機械式だったデフは待望の電子制御に変わり、ギアボックスもセミオートマチックシフトになった。ドライバーはパニッツィに加え、ハリ・ロバンペラ、ジャンルイジ・ガリを迎えた新たな布陣となった。
新たに生まれたランサーWRC05は先代の2004年モデルよりも堅実に成績を残せるようになり、開幕戦でパニッツィがワールドリーカー移行以来、三菱に久々の3位表彰台をもたらしたほか、最終戦のオーストラリアでもロバンペラが2位、ガリも時折、ベストタイムを刻む走りをみせていたことから、明らかに前年マシンよりも進化したことが伺えた。
しかし、三菱のラリー予算削減に伴い、これまでの伝家の宝刀であった電磁クラッチを用いたアクティブデフを新たに開発、テストする余裕はなく、苦心の末にフォルナリスはデフの制御も兼ねた圧縮空気を用いたセミオートマチックギアボックスを投入するが、これがトラブルの温床となり、結果を残せなかったラリーも少なくなかった。この失敗が遠因となり、フォルナリスは更迭されることとなる。
ワークス活動の終焉・現在の活動
こうしたトラブルはあったものの、ランサーWRC05は着実に成績を残し、来シーズンの活躍を期待されていたが、奇しくもこの年の12月に三菱本社は経営建て直しのため、この年一杯で三たびWRC休止を表明。ランサーのワークスラリー活動は終了してしまう。
しかし、プライベーター向けのカスタマーサービスは2006年以降も続けられた他、開発も小規模ながら続けられ、本来はワークスカーに投入予定であった、BOS製ダンパーの効果で2006年のスウェディッシュではダニエル・カールソンが3位に入る活躍をみせた。 2007年は本来認められないマニュファクチャラー未登録マシンであったにも関わらず、チームは改良型インジョクターとリアクロスメンバーを他のワークスチームの同意を得て投入。これらの改良が功を証してランサーは善戦するが、その年の中盤にMMSPとしての活動を終了した。
現在、イギリス・ラグビーにあったMMSPのワークショップは、ワークスチームの元オペレーション・チームディレクターであったJohn Eastonに引き継がれ、MML Sportsとして、ランサーWRC05のレンタル・販売事業を行っている。ランサーWRC05はヨーロッパ各国の国内選手権などで現在も活躍しており、Csaba SpiczmullerがランサーWRC05で2008年のハンガリー選手権を制した。またEyvind Brynildsenが2009年のノルウェー選手権でランサーWRC05をドライブするために、MML Sportsと交渉を行っているとされる。

