三浦梅園遺稿とは? わかりやすく解説

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三浦梅園遺稿

主名称: 三浦梅園遺稿
指定番号 2218
枝番 00
指定年月日 1969.06.20(昭和44.06.20)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 書跡・典籍
ト書
員数 30
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文:  三浦梅園一七二三八九)は江戸時代哲学者九州国東【くにさき半島双子山山麓(現在大分県東国東郡安岐町)の医家生まれたが、儒学志して中国古典愛読した三十歳の頃天地間に条理のあることを知った条理の説は彼の独創的なものであって天地一切のものは反観合一のいわば弁証法的論理により解明されるというものであったその学説を著わしたのが主著玄語」・「贅語【ぜいご】」・「敢語」のいわゆる梅園三語である。このうち玄語」は条理思想体系を、「贅語」は古今諸説をひいて条理学の体系的位置づけを、「敢語」は条理実践面を説いたのである。その他彼の著述には、経済論として「價原」、詩論として「詩轍【してつ】」、西洋医学に関する造物餘譚」など多方面にわたるものがあり、彼の学問幅広さ示している。
 しかし、梅園終生のうち、伊勢参宮長崎行の三回の旅行以外ほとんど国東の地を離れることがなかった。ために交友少なく彼の学説広く知られることなくして終わった明治以後西洋弁証法哲学移入とともに梅園条理学はわが国哲学思想界の脚光を浴びるようになった彼の著述稿本類は今日子孫三浦家所蔵されている。それらは昨年国東半島文化財総合調査を機として概要調査加えられそのうち主要なものが今回指定になったのである
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書跡・典籍:  三戒経  三教指帰注集  三河物語  三浦梅園遺稿  三略  三百六十番歌合  不空三蔵表制集



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