三条制札事件とは? わかりやすく解説

三条制札事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/15 03:45 UTC 版)

三条制札事件(さんじょうせいさつじけん)は、江戸時代幕末1866年10月20日慶応2年9月12日)に発生した、京の治安維持を担当する新選組と、土佐藩士集団の間に起きた衝突事件。




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三条制札事件

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原田左之助」の記事における「三条制札事件」の解説

慶応2年1月26日の夜、長州藩朝敵とした三条制札場の高札取り外され石垣崩されるという事件が発生した。さらに、将軍・徳川家茂死去8日後の8月28日、またも高札外され三条小橋の下に捨てられた。そしてさらに9月1日にも高札放棄され翌日には新たな高札掲げられたが3日には制札場の石垣崩され4日には石垣崩され上高盗まれるという事件が発生した。この時は目撃者がおり、帯刀五、六人の仕業だったようである。さらに5日にも同様の事件があり、今度は4人の犯人目撃されている。町奉行所懸命捜索行い、ついに犯人土佐藩士であるという風聞にたどり着いた町奉行所武士手を出すことができないため、これが会津藩通報された。そこで会津藩新選組制札場の警備命じ、左之助はここで大活躍をおさめることになる。 左之助は12日夜、27人の隊士とともに制札場に出動した大石鍬次郎茨木司らを三条大橋の東詰の民家に、新井忠雄中西登、伊藤浪之助らを西詰の高瀬川近く酒屋配し自身は西詰南側にある先斗町町会所待機し浅野薫橋本皆助物乞い変装させ制札近く置いた午前0時頃、川原北上してきた武士現れた。土佐藩士藤崎吉五郎松島和助宮川五郎沢田兵衛安藤鎌治、奥山禎六、早川安太郎、中山謙太郎の八人である。彼らは制札所に歩み寄って、柵に登ろうと足をかけた。そのとき橋本皆助静かにその場離れ酒屋新井忠雄らのもとに合図送り次いで左之助の待つ三条会所向かった。しかし既に気配察知していた左之助たちは彼らの様子うかがっており、2枚高札投棄されたのを合図抜刀して突き進んだ。左之助は彼らの首領藤崎吉五郎判断し伊木八郎とともに左右から攻め立て軽傷負いながらも藤崎切り倒した絶命には至らなかった。 闘い終えた左之助たちが、捕縛した宮川五郎たちを連れて屯所戻ったのは13日の夜が明けた頃だった。左之助はこの事件報奨金で金20両を与えられている。 この報奨金記されている報奨金分配リストには、左之助は七番組頭となっている。左之助は前年取調日記によると殿である九番組頭だったので、その間組織の再編が行われたことが分かる禁門の変後、新選組長州征伐念頭に置いて副長助勤制度から小隊長制に切り替えており、その後長州征伐可能性なくなってからも小隊長制を維持し事態の推移見守っていた。しかし慶応2年6月長州征伐発生した幕府敗北色濃くなる中7月20日には将軍徳川家茂病死幕府実質的な敗北認めざるを得ず21日には休戦勅許得ていた。つまり新選組はこの時点長州征伐必要だった小荷駄方、殿というポジション必要なくなった。そこで組織の再編が行われ、左之助は七番組長として三条制札事件を迎えたであったちなみに制札事件翌日には土佐藩新選組との和解のために祇園料亭近藤らを招いていたが、そこに左之助がいたという記録はない。

※この「三条制札事件」の解説は、「原田左之助」の解説の一部です。
「三条制札事件」を含む「原田左之助」の記事については、「原田左之助」の概要を参照ください。

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