三性とは? わかりやすく解説

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さん‐しょう〔‐シヤウ〕【三性】

読み方:さんしょう

仏語

人の性3種。善性、悪性、および善でも悪でもない中性無記(むき)性。

一切存在本性や状態のあり方を、有無・仮実などを基準として3種分けたもの。実体のない存在実体誤認する遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)、一切存在は縁によって起こったものとする依他起性(えたきしょう)、真実の体である真如円成実性(えんじょうじっしょう)。


唯識

(三性 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/07 00:53 UTC 版)

唯識(ゆいしき、サンスクリット語: विज्ञप्तिमात्रता Vijñapti-mātratā)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、(ただ)、8種類の(八識)によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、8種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら8種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。





三性

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 15:52 UTC 版)

唯識」の記事における「三性」の解説

このような識の転変によって、存在様態どのように見ているかに、3つあるとする。 遍計所執性(へんげしょしゅうしょう, parikalpita) 構想された存在 凡夫日常認識。 依他起性(えたきしょう, paratantra) 相対的存在、他に依存する存在 円成実性(えんじょうじっしょう, pariniṣpanna) 絶対的存在完成され存在 このような見方唯識を待つまでもなく大乗仏教基本であり、その原型が既に般若経説かれている。 遍計所執性とは、阿頼耶識末那識六識によってつくり出され対象相当して存在せず、空である。 舎利弗、仏に言(ことば)を白(もう)せり。「世尊諸法実相、云何(いかん)が有なるや」仏言わく。「諸法有る所無し是の如く有り是の如く有る所無し是の事を知らざるを名づけ無明為す」 — 摩訶般若波羅蜜経相行品第十 依他起性とは相対的存在であり、構想ではあるが、物事さまざまな機縁集合して生起したもの(縁起)であるととらえることである。阿頼耶識をふくむ全ての識の構想ではあるけれども、すでにその識の対象が無であることが明らかとなれば、識が対象依存関係にあるこの存在もまた空である。 名字は是れ因縁和合作れる法なり。但だ分別憶想、仮名説く是の故に菩薩摩訶薩般若波羅蜜行ずる時、一切名字見ず見ざる故に著せず。 — 摩訶般若波羅蜜経奉鉢品第二 円成実性は、仏の構想であり、絶対的存在とも呼べるものである。これは依他起性と別なものでもなく、別なものでもないでもない。依他起性から、その前の遍計所執性をまったく消去してしまった状態が円成実性である。 復た次に舎利弗菩薩摩訶薩諸法如・法性・実際知らんと欲さば、当に般若波羅蜜学すべし。 — 摩訶般若波羅蜜経序品第一上の如く般若経段階では三性としてまとめて整理記述しているわけではない時代下って解深密経』(玄奘訳)を待って初めて、諸法三種の相があると説く。これは法が三種類あるということではなく、法は見る人の境地によって三通りの姿かたち顕れているということである。 謂く、諸法の相に略して三種有り何等か三と為すや。一者は遍計所執相、二者は依他起相、三者円成実相なり。云何が諸法の遍計所執相なるや。謂く、一切法の名、仮安立自性差別なり、乃至言説を随起せ令むるが為なり。云何が諸法の依他起相なるや。謂く、一切法の縁の生ず自性なり。則ち此れ有る故に彼れ有り此れ生ず故に彼れ生ず。謂く、無明は行に縁たり、乃至大の苦蘊を招集す。云何が諸法円成実相なるや。謂く、一切法平等の真如なり。此の真如に於て諸の菩薩衆、勇猛精進因縁為す故に、如理の作意・無倒の思惟因縁為す故に乃ち能く通達す。此の通達に於て漸漸に修集し、乃至無上正等菩提を方(ま)さに証すること円満なり — 解深密経一切法相品第四 相は性による、という間接的な表現となっているが、唯識論書では、遍計所執性、依他起性、円成実性の三性という表現になり、精緻な論が展開されるうになる。 三性のなかで、第一の遍計所執性はその性格からみて、すでに無存在である。つぎに依他起性は、自立的存在性を欠くから、やはり空である。また、同じ依他起性は存在要素絶対性としては、第三円成実性である。そして、どういう境地においても、真実そのままの姿であるから真如呼ばれる。その真如は、とりもなおさず「ただ識別のみ」という真理である。これを自覚することが、迷い世界からさとりの世界へ転換ほかならない。 しかし、実践段階において、「ただ識別のみ」ということこだわってならない認識活動現象をまったく感知しないようになれば、「ただ識別のみ」という真理のなかに安定する。なぜなら、もし認識対象存在しなければ、それを認識することも、またないからである。それは心が無となり、感知が無となった。それは、世間超越した認識であり、煩悩障自己対す執着)・所知障(外界のものに対す執着)の二種の障害根絶することによって、阿頼耶識変化起こす転識得智=てんじきとくち)。これがすなわち、汚れ離れた領域であり、思考超越し、善であり、永続的であり、歓喜満ちている。それを得たものは解脱身であり、仏陀の法と呼ばれる大円鏡智だいえんきょうち)。

※この「三性」の解説は、「唯識」の解説の一部です。
「三性」を含む「唯識」の記事については、「唯識」の概要を参照ください。

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