三府龍脈碑とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 三府龍脈碑の意味・解説 

三府龍脈碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 01:37 UTC 版)

三府龍脈碑(さんぷりゅうみゃくひ、三府竜脉碑)は、1750年乾隆15年)、琉球王国の宰相蔡温によって名護(後の沖縄県名護市)に建てられた石碑である。石碑の形状が、地元で屋敷の正門と母屋との間に建てられる魔除けの塀「ヒンプン(屏風)」に似ていることから「ヒンプンシー(屏風石)」とも呼ばれる[1]。碑文は表面に漢文、裏面に和文で書かれている。1991年(平成3年)1月16日に沖縄県の有形文化財(歴史資料)に指定された。


  1. ^ 『三府龍脉碑の復元を記念して』 pp.8-19
  2. ^ a b c 『名護碑文記 増補版』
  3. ^ 『三府龍脉碑の復元を記念して』 pp.7-8
  4. ^ 『名護六百年史』 p.45
  5. ^ 名護市教育委員会社会教育課編・発行 『名護市の文化財・第四集』 p.62、1997年
  6. ^ 『三府龍脉碑の復元を記念して』 pp.5-7
  7. ^ 『三府龍脉碑の復元を記念して』 pp.22-23


「三府龍脈碑」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三府龍脈碑」の関連用語

三府龍脈碑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三府龍脈碑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三府龍脈碑 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS